偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
* * *
「それ、おいしそうね」
急に話しかけられて、はっと現実に引き戻された。
声のした方へ振り向くと、そこには品のいいお歳を召した女性が車椅子に座っていた。七十歳手前ぐらいだろうか。
「あの、これですか?」
「そうそう。久しぶりに見たらとても食べたくなったわ。――秋江(あきえ)さん」
「はい」
車椅子を押していた女性が返事をした。こちらの女性は五十代といったところだ。
一見、お姑さんとお嫁さんのように見えるけれど、秋江さんと呼ばれた女性の丁寧な対応を見ていると違うのかもしれない。
「わかりました。少しお待ちくださいね」
そういって車椅子に掛けてあったバッグを持つと、屋台の方へと歩いて行った。
「甘いものお好きなんですか?」
なんとなく……本当になんとなく声を掛けた。ちょっとセンチメンタルになっていたので、話し相手が欲しかったのかもしれない。
「えぇ。若い頃にはたくさん食べたわ。でも……この歳になるとあまり食べたいものもなくてね」
少しさみしそうだ。
「たい焼き、おいしいですよ。皮はぱりっとして餡子がたくさん入っていて、少しするとしんなりしてきて、そこもまた美味しいです」
「あら、楽しみだわ! 秋江さんが戻ってきたら、一緒に食べてくださる?」
「えぇ、こちらこそお願いします。ひとりでさみしかったんです」
最後の言葉は本音だ。
「うふふ、こんなところで…………あっ……っう……」
それまで笑顔で話をしていた女性が、急に胸を押さえて苦しそうにしはじめた。
みるみるうち顔が青くなり、前傾姿勢になる。車椅子から落ちてしまいそうだ。