偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
「そうだったんですね。ありがとうございます」
深くお辞儀をした彼の表情は固いままだったが、感謝の色が見て取れた。
「いえ、おばあさまはお薬を服用されたあと落ち着いた様子でした。ですので少しリラックスなさってください」
患者さんの家族には気休めにしかならない。しかし少しでも気持ちを落ち着けてもらいたくて言葉をかけた。
「川久保様のご家族の方」
そうこうしているうちに処置室から出てきた看護師が彼に声をかける。
「はい。私です」
「医師より説明がありますので、こちらにどうぞ」
足早に中に入っていく彼を見て、わたしはソファに座り込んでいる秋江さんに声をかけた。
「では、わたしはこれで」
「え、あの。お礼を――」
「いえ、気にしないでください。患者さんにお大事にとお伝えください」
「でもっ……」
まだ続けようとしている秋江さんの言葉を遮るように、わたしはくるりと踵を返すとすぐに出口に向かって歩き始めた。
患者さんを無事引き渡ししたのだ。いつまでも病院にとどまるわけにはいかない。
ここにはわたし〝に〟会いたくない人や、わたし〝が〟会いたくない人がいるのだから。
救急の出口から出ると、とっぷりと日が暮れていた。
駅に向かって歩きながら、本当に色々なことがあった一日だと振り返る。しんみりしていた気持ちはもうどこかにいってしまっていた。
川久保さん、早く元気になるといいな。
「あっ……たい焼き」
ぽそっと呟いた言葉があまりにもくだらなくて、思わず笑ってしまった。