素肌に蜜とジョウネツ
1、枯れかけ女の生態
煌びやかなラウンジでウィスキーの水割りを作る主人公、藤子。
マドラーをひらすら混ぜながら、

もう、私はこのまま一人寂しく皺皺に年老いていくのかもしれない。
公営の単身用住宅に引きこもりの毎日で、話し相手といえば長年の付き合いになるペットの亀、ロミ男(二世)だけ。
彼は無口でシャイな男だから、私が一方的に話しかけるだけの毎日……
こんなことなら、約六十年前にプロポーズしてきた某大手会社会長(当時六十一歳)の求婚に応えていれば良かったなんて後悔してたりして。
そしたら、愛なんて欠片もなくても財力に満ちて、寂しさをお金で埋める生活が出来るかも―…
なーんて、遠い先の未来のことを、ウィスキーの水割りを作りながら思う私もどうかと思うけど……
でも、そんな事を考えてしまうのは、今ついている客が“コイツ”ということが、きっと、一番の原因だ。

と、静かに嘆く藤子の目の前には、若くて軽い系イケメンの男。凌一。

出来上がった水割りを、「どーぞ」と普段使用の声でコースターの上に置く藤子。

凌一「藤子、あのさぁ、」
藤子「ちょっ……お店ではジュリって呼んでよっ」
凌一「誰も俺たちの会話なんて聞いてないって~」
藤子「だけど!店で本名はやめてってば……」

凌一にぐっと近付き、小声ながらにも強い口調と目力で訴える。

凌一「あー、はいはい。以後気をつけます」

気をつける気持ちが本当にあるのか無いのか……という態度だが、
この男のそういう性格にはもう慣れっこだと思う藤子。

藤子「……で、何の話だっけ?」
凌一「あー、今日さ、この後お前の家に行く予定だったじゃん?ちょぉっと、ヤボ用が出来て行けなくなった」
藤子「ふーん。どうせ女でしょ?」
凌一「あ。バレてた?」
藤子「何年アンタと付き合ってると思ってんの」
凌一「さすが、トーコ……じゃなくて、ジュリちゃん~!」
藤子「遊びもほどほどにしないと、いつか新聞の三面記事欄辺りに載ることになるわよ」
凌一「yah×oのトップ飾っちゃう的な?まぁ、そん時はそん時だよね」
藤子「……バカ」

こんな軽い会話も慣れっこだと思う藤子。
そして、水割りをぐいっと一気に飲み干すと、「じゃあ、そろそろチェックして」と、携帯を取り出すと私と目も合わせずに、メールを打つ動作をしながら凌一は言う。

ったく、この男は……呆れながらも、ボーイに目配せをして太ももの辺りで人差し指でバッテンを作る。
その場で会計を済ませると凌一は席を立ち、店の外へと歩いていく。
その後ろを見送りの為について行く藤子。

凌一「じゃあ、また近々部屋に行くから」
藤子「はいはい」
凌一「今日はマジでごめんね」
藤子「いいえ。別に」

そんな会話をして、他の女のもとに向かっていく姿を見送る。
(藤子にとっての凌一の回想)
男の名前は椎名凌一(シイナリョウイチ)、歳は私と同じ二十三歳。専門学校時代にバイト先で知り合った仲で、色んな意味で〝お友達”な関係が続いてる。
ブラウンの髪に緩いパーマをあて、少し垂れた目尻で甘めの顔をした凌一。見た目が明るいし人見知りしない性格だから、結構誰とでも直ぐにフランクに接することが出来る。人懐っこくて、可愛い。と、まぁ良く言えばそんな感じだけど、言い方を変えれば、チャラくて軽いってこと。
綿毛みたいにふわふわ風に乗って飛んでく。でも、綿毛は飛んで行った先に根付くけど、奴は再び飛ぶ。あっちへこっちへ飛んでいく。
そういう性格、女関係に対して特に顕著に現れている。
知り合って三年半位になるけど、特定の女の子と付き合っているところを見たことが無い。その日に会いたい女の子と会って、やりたい女の子ととやる。一人に縛られない、フリーダムな男女交際推進。それが凌一で、彼とそんな付き合いをしている女性は何十人もいると思う。女性も女性でそんな男に付き合ってていいの?楽しい?幸せ?って感じだけど―…私も凌一とそんな関係を続ける女の一人で、身体のお友達状態を継続しているどうしようもない女だから偉そうに呆れられない。
しかも私の場合、フリーダムな凌一とは真逆でヤツと出会ってから今まで身体の関係を持ったのは凌一だけで―…
残念な事に、気になる男の一人も出来ない。
まだまだ花盛りの二十代前半だというのに、そんな一癖ある男としか縁がない状態。
これじゃあ、見る人が見れば、遊び人の男が何時かオンリーワンとして選んでくれるのを待ってる健気な女子状態。
そんな自分は、きっと燃え上がるような恋愛なんて出来ない。
もうこのまま、ズルズル凌一と関係を続けて、気が付いたらアラサー、アラフォーを過ぎて、何時の間にか還暦を迎えて……明るい家族計画どころか、待っているのはロンリーな老後生活だと落ち込む。
遠い未来を想像して、とてつもなくブルーな気分に襲われながら店に戻る。

ボーイ「ジュリさん、3番テーブルお願いします」

ボーイに言われ、中央のボックス席へ。
そこには二十代後半位の男四人組が座っている。

はぁ~、さっさと閉店時間にならないかな~、

そんな事を思いつつも、気分を切り替えて、

藤子「失礼しまぁす。ジュリで~す」

声をワントーン高くして、三番テーブルの皆様にご挨拶。

藤子「お隣り、失礼しまぁす」

作り笑顔をひっさげて、藤子が座ったのは無造作な黒髪に眼鏡をかけて、ジーンズにTシャツ姿の男の隣り。
男は他の三人がお店の女のコとわいわい会話で盛り上がっている中、一人黙々と水割りを飲んでいる。

目にかかってしまっている前髪が鬱陶しいのではないだろうか……学生……じゃないよね。社会人ならピシャッと決めなYO!と、ちょっと余計なお世話ながらにも思ったり。何だか関わってくんなオーラが見えて、とっつき難そうなタイプだな~…と、思いつつも、人を見かけで判断しちゃ駄目だな、と、とりあえず藤子は会話スタート。

藤子「初めまして……ですよね?お名前聞いちゃってもいいですかぁ?」
薫「……よくない」
藤子「え~っそんなこと言わずに~…」
薫「……カオル」
藤子「わー。綺麗な名前~お幾つなんですかぁ?」
薫「……成人」
藤子「え~…アバウト過ぎですよ~」
薫「……二十八」
藤子「じゃあ私より五つ上ですね~今日はお友達同士での飲み会ですかぁ?」
薫「……あー」
藤子「……」

頑張って話題を探すが続かない。
見た目通りかっ!
大体、「あー」って何だよ!「あー」って!そんな低い声で面倒臭いオーラ前面に出さないで欲しいんだけど!こっちを見もしないでさぁ、会話する時は、Eye to Eyeが大事でしょ!?

明らかに飲み屋のオネーチャンとの会話になんて興味無いぜ、態度をとる“カオル氏”にイライラきながらも、どうせ彼とはお店だけでの付き合いだし、お客様だし……
時給は発生してるし、この場限りの我慢我慢と自分に言い聞かせてみる藤子。
すると、“カオル”がテーブルに置いてあった煙草とジッポに手をのばした。
勿論、彼の前にサッとライターをもっていく。が、ヤツは、

「……シュッ」ライターがつく音。

藤子の点けた火はガン無視で、自分のジッポで煙草に火をつけた。
足を組み、ソファーにもたれ掛かって、煙草をふかすカオル。
黒髪に眼鏡なんてかけて、インテリぶった感じ(勝手ナ見解)が、またイラっとくるなぁ。

しかし、これは仕事。
そう思えば、ちょっとは気も楽になると思い込むしかない。
よし。仕事仕事~。そう思って、

藤子「私も何か頂いてもいいですかぁ?」

ぶりっこ声で、このテーブルで思い切り飲んで(仕返シ)やろうと心に決める。

薫「水でも飲んどけば?」
藤子「え~…ひどぉい……」
薫「あー、ホント面倒だな。そういうやりとり。適当に頼めば?」
藤子「―…イタダキマ~ス」(ひきつる顔)

この無愛想男め~…その鬱陶しく艶やかな前髪をちょん切ってやりたいわっ!
でも、そんな物騒な言葉を夜の蝶が顔に出しちゃダメダメ。人間だもの。他人と会話するのが億劫になる時だってあるじゃない?ストレスでイライラしちゃうことだってある。そういうのを上手く受け止めるのもネオン蝶の務めでしょう。と大人のネオン蝶対応を心がける。

藤子「三番テーブルにカシスオレンジお願いしまぁ~す」

口角を無理やりあげて、にこやかにボーイにカクテルをオーダー。
そして、「いただきまぁ~す」皆様とカンパイ。でも藤子とカオル氏の間には、

「「……」」

木枯らしが吹いてる。

この男の隣りにいる以上、何か会話をしなければ……
このままでは吹雪になる。そんな感じでふる話題を考える藤子。
が、

薫「あんた二十三歳だっけ?」

いきなり何でか、向こうから口を開いてくれた。

藤子「はい、二十三歳ですよ~」
薫「へぇ、歳のわりには肌がボロボロだね」
藤子「え?」
薫「まだ二十歳過ぎのくせに、全然潤いが感じられないしオーラも辛気臭い。それなら、まださっき行った熟女クラブのおねーさん方のほうが綺麗な肌してたけど」
藤子「……(熟女クラブ……)」

ご親切にあなたから口を開いてくれたかと思ったら、イヤミですか。
っていうか、熟女クラブ……なんだ、この店に好み(熟女)がいなくて、ご機嫌ナナメだっただけか……
原因がわかった気がして、何だかスッキリする藤子。
すると―…

薫「じゃあ、俺、先に帰るわ」

灰皿に煙草を押し付け、立ち上がるカオル。
「えー、マジかよ」「せっかく久々に集まったんだしさ、もう少し付き合えよー」
という、連れの男達の言葉とは反対に、ラッキ~と心の中でピースサインの藤子。
カオル氏は、というと、

薫「明日も仕事なんだよ」

そうクールに言うと、連れの男の一人に万札を渡し、「じゃ、また」と、さっさと出入り口に向かって歩いて行ってしまう。
藤子も本意ではないけど一応仕事なので、お見送りをする為に急いで彼を追いかけて店の外へ。
が、もう、熟女好き感じワル男カオルの姿はなかった―…

この世界に足を踏み入れて半年経つけど、いるんだよねぇああいうタイプ。
自分は来たくなかったけど、友達に無理やり連れてこられて、こっちの気遣いも無視で終始不機嫌な男……あ~、やだやだ。きっと、ああいうタイプは職場でも上司部下問わず平気でイヤミ言って嫌厭されるタイプだわ。人付き合い嫌いで、お一人様上等的な人間だ。めっちゃ後味わるいけど、ま、いいや。
この店は彼の趣味(熟女)とは違うから、もう二度と来ないデショー。

素の顔で、そんな事をブツブツと思って再びお店に戻っていった藤子。
フロアに入ると、「ジュリさん、次は七番テーブルに」と指示が入り、「はぁ~い」
スイッチを切り替えて次のお客様のところに。
お酒を作って、自分も飲んで、声をワントーンあげてお話をして、なるべく笑顔をキープで明るく可愛らしく振る舞う。

そんな感じで午前0時を迎える。

「ありがとうございましたぁ~」

その日ラストのお客様をお見送りして、お店も閉店時間となる。


それから三十分後-…
「はぁぁぁぁ~…」カクテル片手に、今度は薄暗い店内のカウンター席に座って重いため息の藤子。

ここは藤子勤めるラウンジが入っているビルの隣りビルに入る、とあるBar。

夜の勤務を終えて、大きな溜息をつく程ならさっさと帰ればいいのに、それでも時々顔を出したくなってしまう。

トト「なによ……アンタ、疲れてるわネ」
藤子「まぁ色々と~」
トト「ただでさえ梅雨で湿気た毎日なのに湿気たカオしてんじゃないわよ~」
藤子「湿気……」

年齢不詳のオカマ、トトちゃんがオーナーを勤めるこの店、かまトト倶楽部である。

トト「ふぅ、仕方ないわね~アタシの神的なサックスで癒しをプレゼントしてあげようかしらねぇ」
藤子「えっ……」
トト「あぁん、遠慮はしなくていいのヨ」
藤子「……」

トトちゃんは趣味がサックスで、ここに来ると必ず音色を聞かされ、
正直、飽きた……
と藤子は思うが、気持ち良さげにサックスを吹くトトちゃんを前にそんな事は言えないので、耳を傾けるふりをして、バーカウンター下で密かに携帯を弄って某検索サイトのトップで本日のニュースを見ながら、トトちゃんが作ったカクテルに口をつける。

ホント、こんな感じなら家に帰ってさっさと寝ればいいのに、なぜか立ち寄ってしまう不思議-…

と、ひと時のまったり時間をすごす。

そんな感じで一時間程、この店で過ごした後にタクシーを拾い、
やっと我が家である、1DKのマンションに帰っていく。
仕事の疲れを癒されたか癒されてないのか、よくわからない状態で家に帰り着いた藤子が一番にすること。
それは、「ただいま~」と、ベッド脇のチェスト上の水槽に住む、この部屋のもう一人の住人、ミドリ亀のロミ男(一世♂)への帰宅のご挨拶。

藤子「今日はねー、凌一にぶっち切られてねー、感じの悪いお客さんにイジメられてねー、閉店後にトトちゃんの店に行ったらサックス聞かされてねー…」

店であった出来事を、さっきコンビニで買ったミネラルウォーターを飲みながら一方的に話していく。

藤子「って、ロミ男、真面目に聞いてくれてる~?そりゃあこんな夜中に愚痴トークに付き合わせて申し訳ないけどさぁ~…」

ブツブツと暫く水槽に向かってロミ男に愚痴って気が済んだら、バスルームへ向かい、必要以上に厚塗りした化粧を落とし、シャワーを浴びる。
バスルームから出た後は、髪を乾かして、歯磨きをして、
ベッドの上に倒れこむように横になって、夢の中に入るのを待つだけ……

藤子「……」

こうして、一人ベッドの上にいると、
あれ?
何だこのルーティーン化。
何時までこんな生活を続けるの?
このまま誰とも付き合わずに結婚もせずにロンリーな老後にまっしぐらなのかな?
まだ二十三歳で、この潤いのない生活ってヤバイよね、
なんて、また考えてしまう。

大体さ、この歳になるとみんな何処で運命の相手と出会っているんだろう。
職場?合コン?紹介?お見合い?ナンパ?ご近所さん?道でバッタリぶつかっちゃう……からの的な?
職場ではトキメク出会いもないし、合コンや紹介でもピンと来たことないし、お見合いまではまだ考えてないし、ナンパは嫌だし、っていうか、最近されないし、ご近所―…
ご近所といえば、最近、隣りに新しい人が越してきたみたいだけど、男か女かもわかんないし、っていうか、大体、越してきたら挨拶にくるよね?私、田舎出身だけどさぁ、都会でもせめて隣人には挨拶くるよねぇ?ったく、最近の都会人は―…

と、そんな感じの考え事を色々としながら目を閉じて眠りに付く。

それが、ラウンジ、“HONEY PASSION”に勤める夜の蝶、源氏名ジュリ、
本名、瀬名藤子(セナトウコ)二十三歳の一日―…
というのは、週に二回程だけのハナシで、
夜の蝶のお仕事はあくまでも副業。
実は本業がちゃんとあります。

本業は―…

外国人客「Im checking out.Here is my roomkey.」
藤子「Mr James Edwards?」
外国人客「Yes I am」
藤子「Have you consumed anymini-bar last night?」
外国人客「No」
藤子「Could we charge it……」

セミロングの髪の毛を後ろでキッチリまとめて、パープルのスカーフを首に巻き、紺色のスカートスーツに身を包む藤子。
上品にスーツを着こなした、外国人男性と英語でやりとりをする。
高い天井に吊るされた煌びやかなシャンデリア、
綺麗に磨きぬかれた床、ここから真正面の壁には大きな絵画がある。

ここが本業の職場、常盤国ホテル。

特別高級で世界に名を馳せるホテルというわけではないけれども、その名の通り常盤国さんという人が創業した、この辺りでは、まぁまぁそれなりのランクの老舗ホテル。

ただ、ここ数年は近辺に外資系や新しい宿泊施設がオープンラッシュだったりの生き残り競争だの時代の流れだのの影響もあって、決算時の営業利益は赤字を辿る一方だったみたい。
一見、華やかな業界に見えるけど思ったよりも薄給で、残業で稼がないと基本給だけじゃ生活厳しい。しかも、私が入社した年からボーナスは半分カットになり、
実家を離れて一人暮らしをしている私としては、ぶっちゃけ生活が苦しい……
なぜ、この本業がありながら、夜の仕事を副業でしているかという理由はズバリそこ。生活の為という切実な理由―…
週二で夜八時から午前0時の四時間勤務でも、時給がいいのでバカになりません……
でも近頃は、入社当初に比べれば徐々に景気も良くなりつつあって宿泊客数や宴会数とかも増えてきたのかなって思うし、あーあ、せめてボーナス基本給1.0は欲しい……
ぶつぶつ心の中で嘆く藤子。

美山「―…名さん」
藤子「(冬はもうちょい期待出来るかなぁ~…)」
美山「……瀬名さん、何か今日顔が疲れてません?」
藤子「はっ……」

フロントの周りにお客様がいなくなった瞬間を見計らう様に、同じフロント勤務で一年後輩の美山ちゃんが小声で言ってきた。

藤「えっ?そ、そう……?」
美「何だかお肌も荒れてますよ?ちゃんと睡眠とって栄養ある食事とってます?」
藤「あまり十分ではないかも……」
美「ダメですよ~今から気をつけておかないと年齢重ねたら一気に出ちゃうんですからね」
藤「は、はい」

後輩に肌ケアの指導をされ、日頃の手入れ不行き届きを省みる藤子。

美山ちゃんは色白で肌なんか、ゆで卵みたいにツルンツルンしている。
たった一歳しか年齢は変わらないのに、この差は……?と、思ってしまうほど。
しかし、昨日の熟女好き男といい、美山ちゃんといい、ついでにいうとトトちゃんといい(湿気ハツゲン)そんなに私ってイケてないのか……

そんな事を思って軽くショックを受けている。

美「そういえば、聞きました?」
藤「何が?」
美「一昨日から入った、新しい営業マネージャーのことですよ」
藤「営業マネージャー?」
美「社長自ら別のホテルから引き抜いてきたみたいなんですけどね、めちゃくちゃイケてるらしいんですよ!」
藤「へー、でも、仕事出来るから引き抜かれるんじゃ……」
美「もー、そういう意味じゃないですよ!顔です。顔!」
藤「顔?」
美「昨日社員食堂で一緒になった営業のコから聞いたんですけど、結構なイケメンらしいんです!」

小声だけれども、力を込めて話をしてくれる美山ちゃん。
そんな美山ちゃんに藤子はというと、「ほえ~…」興味薄な返事……

美「何ですか!“ほえ~”って」
藤「だって、よくさぁ、合コンとかに行く時に相手すっごいイケメンとか聞いていても、イケてるって思ったことないもん」

確かに、顔がカッコいい男の人はいたりしたけど、何だか、こう心から、ドキッと、
一瞬で心を持っていかれて、ときめいてしまう様な自分好みのイケメンに出会ったことがない。ていうか、別にイケメンじゃなくてもいいんだ。一番は胸のトキメキ!
思わず、運命を感じてしまう様な、この枯れた肌に水を与えてくれるような……
そんな相手にめぐり合えれば―…

そう思って、はぁ~、と、藤子は溜め息。

「瀬名さん、美山さん、業務中は私語を慎むように」

同時に背後から聞こえた、ダンディーな声。

「「も、申し訳ございません……!」」藤子と美山ちゃんは、思わずハモッて謝罪してしまう。

神崎「気を抜いている所をお客様に見られていたりするんだから、気をつけるように」
藤&美「「は、はい……」」

後ろに立っていたのは、宿泊フロント部門マネージャーの神崎マネージャー。

年齢は三十六歳。
特別ハンサムっていうわけではないんだけど、顔も声も渋めで、性格も厳しさの中に優しさがある感じで、仕事も出来るし、密かに女子社員に人気があったりする。
トキメキを無くして数年の藤子でも、たまにかけられる気遣いある一言にクラッときたり……

でも、まぁ、こういう素敵な男性に限って、妻子持ちっていう現実です。と、小さく乾き笑い。

神崎「あと、君たち、Sコーポレーションって知ってる?」
藤子「ビル開発の会社ですよね?」
神崎「そうだ。さっき営業から連絡があって、そこの会長がプライベートの食事と宿泊で見えられるそうだ」
藤子「本日ですか?」
神崎「ああ。今回の利用が初めてになるが、気に入ってくれれば今後も宴会等で使っていただけるかもしれない」

Sコーポレーション会長……そんなVIPが急に新規で入るなんて、珍しい。
でも、営業から連絡があったって神崎マネージャー言ってたから、営業部の人が予約をとってきたのか。そう思って、

「凄いですね……営業部が予約をとってきたんですか?」

と、聞いてみる藤子。

神崎「ああ、そうだよ」

神崎マネージャーが頷く。

へぇー…そんなVIP予約をとってくる人間がうちのホテルにもいたとは……
と、生意気に上から目線になってみる藤子。


神崎「まぁ、予約をとってきたのは、一昨日に営業マネージャーとして入ってきた高輪マネージャーだけど」
藤子「えっ、そうなんですか」
神崎「もともとのお客さんみたいだね」

そんな神崎マネージャーの言葉に、さすが、引き抜かれるだけあるなぁ、そう関心しながらも、“一昨日入った営業マネージャーがめちゃくちゃイケテル”という美山ちゃんの言葉を思い出す藤子。
ちらっと美山ちゃんを見ると、彼女もハッとした表情で藤子を見ていた。

“瀬名さんっ、例のイケメン営業マネージャーのことですよっ”

美山ちゃんの目がそう訴えているのを感じる。

“ウン。そうだと思ったよ”

と、藤子も視線で返事を試みる。

そんな感じで目と目で会話をしていると、「噂をすれば……高輪マネージャーだ」という、神崎マネージャーの声。

パッ、と、神崎マネージャーの目線が向いている方向を見ると、
一階から三階を繋ぐフロア中央の大階段から降りてくるスーツ姿の男性を発見。

オールバックにされた黒髪、遠目からでもわかる整った目鼻立ち……
ピンとした背筋で、チャコール色のスーツをクールに着こなしている。そんな姿は―…

「・・・・・・」

思わず、見とれてしまうほどで―…
よく見ると隣りにいた、我が常盤国ホテル社長(年齢六十三歳、特徴、白髪で小柄)の姿に気が付かなかったくらい。
社長と何か会話をしながら、煌びやかなフロアを歩く高輪マネージャー。

うっ、
何だか、物凄くマブシク感じる。
まるで、朝日を受けて輝く美しい水面のよう……

とか、芸術的(?)な例えを心に浮かべて、まぶしさを感じる藤子。

藤子たちの側の視線に気が付いたようで、神崎マネージャー目線で頭を下げる高輪マネージャー。

だけど、次の瞬間―…藤子と高輪マネージャーの視線があう。
しかも、じっと見ている。

気のせい……なんかじゃないよね?
神崎マネージャーに目線をやっていた時は柔らかい表情だったのに、私と目があった途端、表情がクールに戻った気がする。

藤子が、そんな事を思ったと同時に、ニコリと、微かに微笑んだ高輪マネージャーを見て……

ヤ、
バイ―…

今、ちょっと自分の胸が高鳴った。

嘘っ、ここにきてまさかの久々な胸のトキメキっ?

藤子が赤面して、そんな事を思っていると、高輪マネージャーの視線は外されて、また社長と何か話をしながら歩いていってしまった。

神崎「二人とも見とれすぎ」
藤&美「「えっ」」

高輪マネージャーが過ぎ去った後の神崎マネージャーの言葉に、またまたハモッてしまう藤子と美山。

神崎「社長がずっと前見て歩いてたからいいけど、仮に社長がこっち見たとしても二人とも高輪マネージャーしか眼中になかっただろ?」
藤子「ス、スミマセンっ……」
神崎「まぁ、確かに良い男だけどね。アイツは」
藤子「アイツ……って、神崎マネージャー、親しいんですか?」
神崎「俺が最初に勤めていたホテルで彼が学生時代にウェイターのバイトをしてたんだ。歳は少し離れているけど気は合ってね。ずっと付き合いが続いてる」
藤子「そんなに前から親しいんですね―…」
神崎「ま、この話はまた今度ゆっくり。今日はSコーポレーションの会長が19時に見えられて先ずはラウンジで食事をする事になっている。日勤でも明日があるから頭に入れておいて。それに宿泊予約が普段より多いから、チェックイン分の顧客リストのチェックを怠らないようにね」
藤子「はい……っ」

そして、「じゃあ、ちょっと俺はバックにいるから、頼んだよ」そう言うと、フロントバックに行ってしまった神崎マネージャー。

美「瀬名さん、噂通りですねっ」
藤「う、うん」
美「職場での良い目の保養になりますねっ」
藤「確かに……」

こっそり、そんな会話をする藤子と美山ちゃん。

まぁ、職場でイイ男を見つけてキャッキャッと騒ぎたいわけじゃないけど、
仕事に支障を来たさなければ、これくらいの楽しみあってもいいよね……?と藤子は思う。

しかし、期待が薄かった分、高輪マネージャー……かなりレベル高く感じる。
しかも、登場があの煌びやかな大階段からだけあって、インパクトが半端ない!
社長には申し訳ないけど、二人並ぶと“貴族”と“じいや”に見えちゃうわ……
はぁ~、でも、目の保養になるような男性って、一般社会で実在するもんなんだなぁ~
しかも、同じ職場だなんて!まぁ、既婚の有無とか性格とかはまだ知らないけど、
久々の胸のトキメキをありがとうだな……
ふふ。これで、職場での楽しみが一つ増えた!
別に高輪マネージャーとどうこうなりたいわけじゃなく、あくまでも芸能人とか学生時代のカッコいい先輩とかに対する憧れと同じ様な感情。
機会があったら、お話くらいはしてみたい。ちょっとでも胸のトキメキをまた味わえたら、

仕事をしながらも、高輪マネージャーをその位に思っていた藤子。

だけど、
“高輪マネージャーとお話”という夢は、予想外の速さで現実となり、憧れの眼差しは一気に消えうせてしまうということを、
この時、私はまだ、
1mmも思っていなかった―…


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