一筆恋々

【六月十一日 手鞠から駒子への手紙】


学校でもお伝えしましたが、黙っていてごめんなさい。
驚かせてしまいましたね。
わたしにもいろいろなことがあり、すべてが収まるまでお話しすることができなかったのです。

まずは八束さまのご婚約おめでとうございます。
これからも大変なことは多いと存じますが、きっと蘭姉さまを幸せにしてくださいませ。
もし裏切るようなことがあれば、八束さまの気がおかしくなるまで、毎日いやがらせのお手紙を送りつける用意がございます、とお伝えください。

ずっと悩んでいました。
蘭姉さまにとってどうなることがいちばん幸せなのか。
考えても考えても結局わかりませんでしたが、ひとつだけたしかなことは、蘭姉さまの恋を叶えることは八束さまにしかできないということです。
この恋が実らなければ、おふたりとも想いを残すことになるでしょう。
それはやはりかなしいのです。

反対に久里原呉服店へ嫁ぐことは姉でなくともこの家の娘ならば誰でもいい。
つまり、わたしが()けばいいのです。

父にもその考えはあったでしょうし、英子爵と久里原さまとの間でもそのお話がなされたようですね。

母にいたっては最初から姉よりわたしを嫁がせたいと考えていたそうです。
姉はわたしよりふたつ上の十八歳、静寂さんは二十一歳。
結婚の年の差としては忌まれる四目十目(よめとおめ)にあたるので、縁起が悪いのですって。

いつでしたか久里原呉服店に行ったときに静寂さんを見つけられなかったことが、返す返すも悔やまれます。
久里原呉服店の評判はよく、静寂さんもこれと言った悪い噂は聞こえてきません。
ご兄弟の中で静寂さんだけ庶子でいらっしゃるようですけれど、それはご本人の落ち度ではありませんもの。
多くは望みませんから、どうか誠実な人でありますように。

秋に姉を送り出し、静寂さんが大学を卒業されましたら、わたしは学校を退学して嫁入りすることになりますが、もう少しだけみなさんと一緒に女学生でいられます。

今年予定されている洋食の実習は受けられますが、来年のミシンの実習は受けられるかどうかわかりません。
駒子さんや菜々子さんと机を並べてお勉強したり、お弁当を食べたり、帰りに寄り道をしてあんみつをいただくなんてこともできなくなるのですね。

どなたかに恋をすることも、されることももうありません。
それが当たり前だと思っていたはずなのに、八束さまと姉を見ていたらさみしいことのように思えてきました。

でも最初に父に「久里原呉服店に嫁ぎたい」と伝えたのは、わたしのほうなのです。
わたしの申し出があってもなくても結果は同じでしたでしょうが、それでもわたしはこの道を自分で選んだつもりです。

残された時間はわずかですが、またかつみ庵のあんみつやお汁粉を食べに参りましょう。
四季彩館(フォーシーズンズ)のアイスクリームも食べに参りましょう。
キネマもお芝居も、それから久里原呉服店の流行会にもお付き合いくださいませ。

時は短し。
乙女は忙しくて恋する(いとま)もございませんね。


大正九年六月十一日
春日井 手鞠
英 駒子さま



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