一筆恋々

【七月十一日 手鞠より蘭への手紙】


拝啓
母さまが育てている月下美人が、昨夜花を咲かせました。
そのまま夜通し眺めていられるくらい本当にきれいなのですよ。
花が咲くときには、ぽんっという音がするのですって。
残念ながら聞き逃してしまいました。

姉さまによく似合うのでお見せしたかったです。
英家にも月下美人はございますか?

お花が終わったらおひたしにするとおいしいのだと、ちよさんが言っています。
あの人は何でも食べてしまいますね。

駒子さんから毎日のように姉さまのお話は伺っています。
お幸せそうで何よりです。
駒子さんも、そんなに気づかってくださっているのですね。
明日会ったら改めてお礼を言っておかなくては。

駒子さんからお聞きになりましたか?
先日、久里原静寂さんがいらしてくださったのです。

姉さまは静寂さんにお会いしたことございましたでしょうか?
もしお会いになっていたら、そんなにわたしを心配なさらなくてよかったと思います。

静寂さんはやさしい方です。
あれでご商売などできるのか心配なほど不器用そうでしたが、心根の清い方だと思います。

顔合わせ前に会いに来てくださったのは、きっと静寂さんなりのお気遣いです。
ご本人は「ワッフルを買いすぎた」とおっしゃっていましたけれど。

ほとんど何もお話しなさらなかったので、ちよさんはわたしの結婚が心配になったようでした。

でもわたしはしどろもどろに紙袋を差し出すあの方を見て、抱えていたさまざまな不安が、いっぺんにどこかへ飛んで行ってしまいました。
どよどよとお日さまの周りをたゆたっていた雲を、静寂さんが指先ではじいてくださり、わたしの未来に光と風がもどったように感じています。
いえ、これまで以上に空があかるく感じるのです。

帰りがけに思いついて「お手紙を出してもよろしいですか?」と伺ったら、黙ってうなずいてくださいました。
これからたくさん静寂さんにお手紙を書きたいと思います。

姉さま、だからどうか泣かないでください。
「妹の人生と引きかえに、私ばかり幸せになった」などとおっしゃらないでください。
久里原呉服店での生活はまだ想像できませんが、それでも静寂さんとの人生を、わたしは楽しみにしているのですから。

姉さまの方こそ、さまざまな違いや人づき合いで苦労されていることと思います。
八束さまや駒子さんが力になってくださっているとはいえ、泣きたいときもあるでしょう。
でもどうか幸せになってくださいね。

嫌になってお相手を交換したいと言っても、わたしは応じませんので。
赤い蜜柑は遠慮させていただきます。

暑さで食欲も落ちる季節です。
姉さまは昔から暑さに弱いので、くれぐれもご自愛くださいませ。
敬具


大正九年七月十一日
手鞠
蘭姉さま



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