一筆恋々

【七月十三日 手鞠から静寂への手紙】


謹啓
わが家の庭にダリアが咲き始めています。
いらしたときも一輪咲いていたかと思いますが、ご覧になりましたか?
強い日差しに負けないあざやかないろは、夏の花の強さを感じます。

さて、先日はわざわざお訪ねくださり、ありがとうございました。

お土産にくださったワッフルは、いちごジャムのさっぱりとした甘さが食べやすく、とてもおいしくいただきました。
あんなにおいしいワッフルを出すお店が大学の近くにあるのですね。
わたしなら通い詰めて、勉強に身が入らないかもしれません。

ところで静寂さんはすべてご存じだったのですね?

あのとき(わたしが久里原呉服店を訪ねたときのことですが)「塀の中をのぞきたい」というわたしに、あなたはあっさりと手を、正しくは背中と肩を貸してくださいました。

他人の家をのぞこうなどというあやしげな娘を、よくかんたんに許したものだと思います。
「おかしな方ですね」と何度申しても、あなたは一向に気にした風でもありませんでしたが、その実、何を考えていらしたのでしょう。

その方がまさか静寂さんご本人だったなんて。
そうならそうとおっしゃってくだされば、わたしは何も将来夫となる方を踏みつけることなんてありませんでしたのに。

何も知らないわたしをからかっていらっしゃったのですか?
中に静寂さんはいないと、誰よりご存じでしたでしょうに。

思えばあなたは学生服姿でしたし、静寂さんが大学生であることも存じておりましたのに、わたしはあなたが静寂さん本人であるとは、露ほども思いませんでした。

あのときは大変失礼いたしました。
また、大変お世話になりました。お背中や肩など痛いところはございませんか?

当家の都合により、静寂さんのお相手が姉の蘭ではなく妹のわたしに変わりましたこと、ご不快に思われたことと存じます。
お会いした際にはどんな皮肉も甘んじて受け入れるつもりでおりました。
ですから、会いに来てくださって、とてもうれしく思います。
それがほんの気まぐれでもうれしいのです。

わたしがお話ししたこと、覚えていらっしゃるでしょうか。
わたしはあなたにお手紙を書きたいと思います。
なるべくたくさん。
祝言までの間に少しでも同じ時間を重ねたいのです。

お勉強が忙しいことと存じますので、お返事は無理なさらなくて結構です。
ただ読んでくださればそれで十分です。
一生懸命書きます。

すでにはしたないところをお見せした後ではございますが、これからは「やはり手鞠でよかった」と思っていただけるよう、精一杯お仕えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

日に日に暑さが増しております。
どうかご自愛専一に、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
敬白


大正九年七月十三日
春日井 手鞠
久里原 静寂様



< 16 / 116 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop