一筆恋々

【九月二十一日 手鞠より静寂への手紙】


拝復
いただいたお手紙も雨の匂いがします。

今日は風もなく、家全体が雨に閉ざされたような窮屈さを感じていました。

ところがその中でちよさんが七輪で盛大に秋刀魚(サンマ)を焼いたのです。
晴れている日なら庭で焼くのですが、今日はそのまま土間で焼いて、なにしろ風がないものですから煙と匂いが家の中にたまっていくようでした。

香ばしさにつられて土間を覗くと、ちよさんは団扇(うちわ)で勝手口から煙を追いやろうとしています。
しかし煙はちよさんが扇げば扇ぐほど内に流れ込んでいる気がしました。

「たくさんいただいたから、雨が止むまで待っていられなかったのです」と必死に言い訳する姿がおかしくて、涙を流して笑ってしまいました。

七輪の上の秋刀魚はじゅわじゅわと脂の焼ける音がして、表面についた焦げ目の具合もとてもおいしそうでした。
明日には活きも悪くなりますし、いま焼けたこれも食卓に並ぶ頃には冷めて固くなってしまいます。
食べごろはいましかありません。

だからちよさんと一尾を半分ずつ、七輪の隣にしゃがんで食べました。
定規で引かれた線のように、上から下へ真っ直ぐ落ちる雨を眺めながら、ふたりこっそり食べる秋刀魚は格別です。
炭と雨と秘密の味わいがしました。

ちよさんは「嫁ぎ先でこんな行儀の悪いことを決してしてはいけません」と言いましたが、舌鼓を打ちながらではまったく心に響きませんでした。

それにわたしはいつか静寂さんと、このすてきな秋刀魚を味わいたいと思いました。
静寂さんならきっと少しくらいの行儀の悪さは許してくださると思うのです。
だって、塀に上ることを手伝ってくださいましたものね。

静寂さんと食べる秋刀魚や茄子はどんな味がするのかとても楽しみです。

さてかつみ庵のことですが、それでは十月三日にいたしましょう。
駒子さんもそれでいいそうです。
静寂さんはこし餡がお好みなのですね。
わたしはどちらも好きなので、当日まで悩みたいと思います。

それから菜々子さんもご一緒して構いませんか?
どうしても静寂さんに会いたいと言うのです。
どうかよろしくお願いいたします。
拝答


大正九年九月二十一日
春日井 手鞠
久里原 静寂様


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