一筆恋々

【九月十六日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓
先日の野分で、静寂さんやお家の方は大丈夫でしたか?

我が家はこれといった被害はありませんでした。
避難させた植木鉢で玄関か狭くなり、靴を履くときの便が悪かったことくらいです。
風向きがよかったのか、庭木の枝さえ折れませんでした。

ただ、予定されていた運動会が中止になったことだけは少し残念でした。
球技は苦手ですが、徒歩競争だけは自信があるのです。
運動嫌いで日々雨乞いに余念のなかった菜々子さんは、小躍りしていましたけれど。

世間では瓦が飛んだとか、飛ばされてきた鉢で窓硝子が割れた、などという被害も聞きます。
九州の方はもっと大きな被害に遭われたようですね。
まだ少し野分の季節はつづきますから心配です。

学校では同じ組の子がまたひとり退学されました。
来月ご結婚だそうです。
婚約なさった方もまた幾人か増えました。

したしい方の婚約が決まると、何かお祝いの品を贈ったりするのですが、菜々子さんの場合はご本人が嫌がっているのでできませんし、駒子さんもお心が別のところにあってまだ決めるつもりはないようです。

その駒子さんにお礼をお断りする旨を伝えたのですが、ご自宅にお送りすることが難しいなら外でお会いしましょう、と静寂さんへお誘いがありました。
かつみ庵という甘味屋で何でも好きなものをご馳走してくださるらしいのです。

ご迷惑でなければいらしてくださいませんか?
とってもおいしいお汁粉があるのです。
餡のあまさがさらっとしていて、お餅は軽く焼き目がついているのですよ。
こし餡もつぶ餡もございますので、お好きな方を選べますから。

お返事は急ぎません。
ご都合のよろしいときに。
かしこ


大正九年九月十六日
手鞠
静寂様


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