一筆恋々

拝復
静寂さんにこうしてお手紙を書くのは、何通目でしょうか。
ずいぶんたくさん書きましたが、本当にお伝えしたかったことほど、届かなかったように思います。

静寂さん。
久里原さまのご意向に従い、わたしは淡雪さんと結婚します。
淡雪さんが久里原呉服店を継がれるならば、それが自然なことなのでしょう。

わたしが何を望んだところで、当の静寂さんが納得されているのですから、わたしのひとりよがりではどうしようもありません。

ただひとつ、反論させてくださいませ。
わたしは確かに姉の結婚を見て恋に憧れていました。
けれど、わたしの静寂さんに対する想いが錯覚だとおっしゃるのは、あまりに勝手な決めつけではありませんか。
仮にこれが錯覚だとするなら、世の中に蔓延している恋のすべてが錯覚です。
また、お相手が最初から淡雪さんだったなら、わたしはその錯覚さえしなかったと思います。

わたしは、塀に上ることを手伝ってくれた学生さんに恋をしたのです。
お菓子を口実に会いに来てくださるその方に、お手紙を書きたいと思ったのです。
「久里原呉服店の跡取り」に惹かれたわけではありません。
そこだけは誤解なさらないでください。

いっそ二度と会わない間柄ならよかったですね。

よき義姉にはなれないかもしれませんが、静寂さんが大切に思う淡雪さんをお手伝いできるように努力いたします。

これまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
わたしのお手紙はすべて棄ててくださいませ。
さようなら。
拝答


大正九年十二月二十二日
春日井 手鞠
久里原 静寂様


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