一筆恋々

【十二月二十三日 手鞠より駒子への手紙】


駒子さん、今日は泣いてくれてありがとうございました。
あんなにたくさん泣いて、国中の涙を使い切るおつもり?
いまはきっとどこのお店でも涙は品切れで、みんな困っていることでしょう。

ひとつ駒子さんに謝らなければならないことがあります。
駒子さんが菊田さんとお別れしたとき、わたしはわたしなりに駒子さんの力になろうとしたつもりだったのです。
何もできなくても、せめて気持ちは寄り添いたいと思いました。
でも今回のことで、あのときのわたしは、あなたの気持ちなんてまるでわかっていなかったのだと気づきました。

こんなにも苦しいものなのですね。
苦しいけれど、まだどこか頭と心がばらばらで、まるで夢の中で泣いているみたいなのです。
目覚めるたびに、これが現実なのだと思い知らされ、毎朝新しい悲しみに出会うのです。

眼裏(まなうら)に浮かぶ学生服の背中が、いまにも触れられそうなほど鮮明であっても、もう届きません。
そのことがわかっているようでわからない。
わからないくせに、涙ばかりは溢れるのです。

以前駒子さんは「もし菊田さんが嘘でも『一緒に行こう』と言ってくれたら、どうあってもついて行ったのに」と言っていましたね。
駒子さんは本当にそうなさる方だと思います。
だからこそ菊田さんは言わなかった。
駒子さんに多くを捨てさせるような道を、菊田さんは選ばない人だと思うのです。
菊田さんの大きな愛なのだと思いました。

でも、いま似たような立場になって思います。
それでも言って欲しかった。
「全部捨てて来い」と、手を伸ばして欲しかった。
大きな愛なんて望んでいないのに。

わたしの耳に、目に、唇に、心に、忘れ得ぬ余韻を残しておいて、どうして他の人と「幸せになってください」などと言えるのでしょう。
静寂さん以外の方に添うことが「幸せ」ならば、「幸せ」とは曇り空のお月見よりつまらないものです。

菊田さんも静寂さんも、意気地がありませんね。
あの腰抜けどもの顔に、熱い珈琲を浴びせてやりたい。
軟弱な頭目がけて、レエスのパラソルを振り抜いてやりたいです。
腹が立って、腹が立って、やっぱり涙が出るのです。

こうして恋が散っても、わたしは彼の義姉としてずっとお付き合いは続きます。
静寂さんが誰か別の方をお迎えになるときも、お子が生まれるときも、わたしは近くにいて「おめでとうございます」と言わなければなりません。
お腹に力を込め、奥歯がつぶれるほど食いしばって、わたしは笑って言うのでしょう。
そうして胸の内で、埃っぽくなった恋の香りを抱きしめて生きて行くしかありません。

出会わないことも、共に生きて行くことも無理なら、限られた時間でもっとたくさん会えばよかった。
少し前を歩く紺絣の袖を、衝動のままに掴んでしまえばよかった。
恥ずかしがらずに自分から「もう一度」とお願いすればよかった。
いまはもう、気持ちを込めてお名前を呼ぶことさえできません。
後悔ばかりです。

後悔を抱えながら書いた最後のお手紙は、それでも素直になりきれず、物分かりの良いふりをした無様な内容になりました。
心の内はこれほどまでに意地汚くしがみついているのに。
わたし、本当に駄目ですね。

もうあのラムネ瓶の単衣は着られません。
ワッフルもあんパンもアイスクリームも食べたくありません。

ごめんなさい。
読みにくいですよね。
どういうわけか、どんどん文字が滲んでしまって。

菊田さんを忘れられず藤枝さんとの結婚に前向きになれない駒子さんを、もどかしく思ったこともありました。
わたしは自分が幸せだからといって、ずいぶん傲慢でした。
ごめんなさい。

同じ思いをされた駒子さんに、ぜひお聞きしたいのです。
こんな気持ち、いつしか忘れられるのですか?
わたしには、幾星霜(いくせいそう)時を重ねたところで、忘れられるとは思えません。

けれどもし、質感まで鮮明な栗いろの髪の記憶もうすらいで、声も、いただいた言葉も思い出せなくなってしまうとしたら、やっぱり嫌。
血を流したままでいいから、()きし日に溺れる時間を手放したくありません。

みっともない顔でしょうが、学校には参ります。
そのために、いまから目を冷やしてきます。


大正九年十二月二十三日
春日井 手鞠
英 駒子さま


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