私が恋を知る頃に
謝ってしばらくの沈黙のあと

「穂海」

再び名前を呼ばれた

でもそれは、さっきみたいな気を遣ったような弱々しい声じゃなくて、はっきりと真面目な声。

それに、碧琉くんは今まで見たこともない怒った顔をしていて怖くなる。

私、なにかしちゃった?

さっきまで優しい碧琉くんだったから、初めて見る碧琉くんの怒り顔に余計に怖さが増す。

「穂海」

「は、はい」

怖くて自然と敬語になる

体はサーっと熱が引き今にも震えそうだ




「謝らないで」

「……え?」

あまりにも予想外の言葉だった。

「俺に謝らないで。謝る対象は俺じゃない。」

言ってることが、わからなかった。

なんで、謝ったらだめなの?

謝る対象は碧琉くんじゃない?

どういうこと?

頭に沢山のはてなを浮かべていると、碧琉くんは大きく息をついて再び私の目を見つめた。

呆れさせてしまっただろうか

それほど、私は悪いことをしたのだろうか

それにも気づけない私に失望しちゃったのだろうか

碧琉くんにまで見放されたら私は

「…穂海、深呼吸。」

少し優しくなった声に顔をあげれば、碧琉くんは困ったように私の手を握った。

「ごめん、怯えさせるつもりはなかった。大丈夫だから、1回息落ち着けてごらん。」

また無意識に呼吸が早くなっていたみたいで、息が苦しいことに気付き涙が出る。

碧琉くんの背中を撫でるリズムに合わせて息をする。

次第に、呼吸が落ち着くのと同時に怒られていたことを思い出し、少し体が固くなった。

碧琉くんは私の息が落ち着いたのを確認するとまた真面目な顔に戻って私の目を見つめる。

「穂海、俺はね、今怒ってる。」

「はい…」

「なんでか、わかる?」

そう聞かれて精一杯思考を巡らせたけど、結局何も思い当たる節がなくて半ば泣きそうになりながら、首を横に振る。

「……あのね、俺が穂海を大切に思ってるのは知ってるでしょ?」

……コクン

「俺はね、穂海が自分を大切にしてくれないから怒ってるんだよ。」



なんで、それが碧琉くんが怒る理由になるのか、私は理解出来なかった。

だって、私は何も出来ないからいらないから、大切になんてしなくてよくない?

あ、碧琉くんが大切に思ってくれてる気持ちを踏みにじってると思われてるのかな…

それなら、謝らなきゃ

「ごめ「謝るな」

さっきよりも怖い声に驚いて体が跳ねる。

何?どういうこと?

あ、さっき謝っちゃダメって言われたのに守れなかったから?

というか、なんで謝っちゃダメなの?

ほんと、なんで?どういうこと?

「……穂海は何もわかってない。」

そう言われ今にも泣き出しそうになるのをがんばって堪える。

わかんないよ、碧琉くんの言ってること、わからない。

「なんで、穂海はそうやって自分を踏みにじるの?」

碧琉くんの顔はひどく悲しそうだった。

「人を傷つけちゃいけません。人を殺してはいけません。わかる?」

……コクン

「それはね、自分にも当てはまるんだよ。自分を傷つけちゃいけません。自分を殺してはいけません。これだってね、他の人と同じで当たり前に守らなきゃいけないんだよ。」

碧琉くんは何故かまた泣きそうで、でも顔は怒ったまんまだった。

「俺は穂海を大切に思ってるの。その大切な人が傷つけられてるのになんで怒らないと思う?他の人はダメでなんで自分で傷つけることは良いと思う?ダメなんだよ」

碧琉くんは怒ってる。

それは、碧琉くんの大切に思ってる私を私が傷つけたからで、誰かが大切に思ってる物を傷つけちゃいけないように、それが自分でも傷つけちゃだめ。

言い聞かせるように頭の中で反芻した。

知らないルールだった。

「"ごめんなさい"を言うのは俺じゃない。謝るなら、ずっと傷つけ続けてきた自分にこそ謝るべきだよ。」

碧琉くんの顔は、もう怒ってなかった。

ただひたすらに悲しそうな顔をして、私の背中を撫でた。

「俺は大切に大切に思ってる穂海を傷つけられて、殺されかけて、本当に悲しかったし、本当に腹が立った。もう、自分を虐めるのはやめて。」

切実な声だった。
< 227 / 279 >

この作品をシェア

pagetop