偽婚
ホテルの最上階は、夜景が素敵だった。
が、私はと言えば、そんなのを見ている余裕もなかった。
「あら、おいしいわね。やっぱりここにして大正解だったわ。ね? 杏奈さん」
「そうですね」
夜景を見る余裕も、食事を味わう余裕もなく、テーブルマナーと笑顔に細心の注意を払う私。
会話の最中に肩をすくめたのは、お父様だった。
「それより、子供はまだなのか。早く跡継ぎを産んでもらわんと」
「あなた、それ、セクハラよ?」
「何がセクハラだ。家族なんだから当然のことを言っているだけだろう」
「いいじゃないのよ。ふたりにはふたりのペースってものがあるんだから、焦らせてはダメよ。ごめんなさいね、杏奈さん」
お父様が私たちを呼び出した本題は、どうやらそれだったらしい。
曖昧にしか笑えない私に、助け舟を出してくれたのは神藤さんだった。
「父さん。何度も言ってますが、僕はまだ、杏奈とふたりの時間を楽しみたいんです。それに、仕事のこともありますし。今回の新店舗は実験的な意味もあるので、今後の課題と目標を決めて」
「仕事のことは会社で話せばいい」
「えぇ、そうですね。では、僕たちふたりのことは、ふたりだけで話をさせてください」
ぴしゃりと言う神藤さん。
さすがにたじろぐお父様と、「うふふっ」と笑うお母様。