龍神愛詞
12・試練と魂の代償

目の前には広がる黄色い大地。
広大な砂漠が辺り一面を埋め尽くす。
飛び立ってから、どれくらい時間が経過しただろう?
真上にあった太陽が地平に沈み、もう一度顔を出す。
そしてそれがまた地平に隠れる。
休みなく飛び続けている二匹。
人ではなくニ匹の龍。
一匹は蒼い身体、白い長い髭が長くたなびく。
真実を見抜くような、どこまでも細い小さな目。
もう一匹は紅い身体、焼け付くような赤を思わせる身体。
幾つもの戦火をくぐり抜け赤龍の長になった龍。
数え切れない傷、そしてそれに見合う強さが感じられた。
二匹はそれぞれ、本来の姿になって飛び続ける。

龍王の腕の中で眠っていたスー。
もう一度あの笑顔を取り戻したい。
揺るがない強い意志がそこにはあった。

もう少しな筈だ。
やがて黄色い大地の終わりが見えてきた。
それと同時に前方から、黒い闇の大地が近づいてくる。
巨大な恐れや不安を象徴する黒という色彩。
それが襲いかかるかのように、二匹の前に姿を現し始める。
やがて黄色い砂漠の大地は消え、一気に暗い闇の大地に変わった。
吸い込まれそう暗い闇。
光の届かない深いその場所。
下を見下ろせば、飲み込まれそうな真っ暗な闇が広がる。
大きな口がじっと自ら飲み込まれにくるのを待っていた。
その下、底の底に目をやる。
しかし深い闇が見えるだけで、その下に何があるのかは全くわからない。

ここが最果ての地。
島と言われる大地は、この暗い闇の底にあるらしい。
この底に到達して帰って来たものはごく僅かだった。
みな目的は、黒龍の持つと言われる冥王としての力を奪う為。
自分の力試しの為。
とどまる事のない探求心の為。
様々な目的でここにやってきていた。
ごく僅かに帰還した者たちは確かにいた。
しかしいずれもまともな姿で生還する者はいなかった。

普通なら恐怖を感じ、死を感じ、一旦はみな動きを止める。
しかしその闇にニ匹は、躊躇なく飛び込んだ。

底から湧き上がる闇にすぐに包まれるニ匹。
降下するにつれて互いがどこにいるのかさえ確認できなくなっていた。
辺りは全く明かりの見えない空間。
時間の経過さえ忘れてしまいそうな静寂。
自分が動かす翼の空気を切る音だけが辺りに響く。
島と呼ばれる底は、まだまだ見えない。

下の方、白い揺らめきが見えてきた。
ほんの僅かな光。
煙のように辺り一面に広がり、空気に漂う光。
キラキラと何も光のない空間に輝く得体の知れない何か。
白い揺らめきは霧のような何かを含んだ空気だった。
その空間を飛行し初めてすぐに変化が起きた。
それらを酸素と一緒に吸い始めたニ匹の顔は苦痛に歪み始める。
と同時に頭の中に声が聞こえてきた。

・・・毒の霧に包まれし者よ・・・
・・・命が惜しければここから引き返すがよい・・・

毒の霧。
このキラキラ光る霧の様な物にはどうやら毒が含まれているようだ。
ニ匹はそれでも降下を続ける。

「黒龍なのか?」
青龍が問う。

・・・そうだ・・・
・・・我に近づくな・・・

「どうしても聞きたい事があるんだ。」
赤龍が言う。

毒のせいでニ匹の声は苦痛で震えていた。

・・・これ以上降下すれば・・・
・・・命の保証はないぞ・・・
・・・自らの命、惜しくはないのか・・・

「もとより、そのつもりでここまできた。」
「話を聞くまでは死ぬつもりはない。」

しばらくの沈黙。

・・・お前たちの覚悟がどれほどの物か・・・
・・・見届けるとしよう・・・
・・・底まで降りきり、まだ生きていたら話を聞こう・・・

霧は一層濃いさを増してきた。
燐と固い皮膚の中でさえも浸食してくる程の猛毒の霧。
声を上げる事さえできない苦痛は、なぜか反対に頭の中をすっきりさせた。

思い描くのは、スーの笑顔。
優しさと強さ。
宮殿で過ごした心穏やかな時間。
自分自身が傷つけ悲しませた事も。
術によって身体の機能を失われていく姿。
色々な記憶が蘇る。
そして一番に思う気持ち。
強い決意。
ここに来た目的。
それは。
スーを助けたい。
自らを犠牲にしてもスーを失いたくない。

底が薄っすらと見えてきた。
安堵するニ匹は次なる試練に襲われる。
突然翼が動かなくなったのだ。
身体の自由が効かなく、動けなくなったニ匹。
勢いそのままに、見えてきた底へ激突した。
地面全体がニ匹の激突した衝撃で大きく揺れた。
瓦礫が落ち、大きな岩盤と大量の土砂の中に埋まる。
「うううううぅううううぅう!!!!」
猛毒と落ちた時の激突による衝撃。
かなりの重症を負ったニ匹。
それでもゆっくり這い出る。
身体がかなり重さを感じる。
いたる所からの出血しているのだろう。
頭がくらくらし目までくらみそうだ。
視界も悪い。
身体はどこもかしこも悲鳴をあげていた。
少し動いただけでも激痛がはしる。
かなり深刻な最悪の状態。
だが、どうやら命だけは助かった。

そしてやっとたどり着いた!!。
ここが最果ての島。

舞い上がった粉塵が収まってきた。
周りの景色が次第に明らかになってくる。
そこはかなり広い空間。
あるのは大小様々な岩ばかり。
その岩がニ人を周りを監視するかのように囲んで見える。

ん?
そしてそこは全くの闇ではない事に気付く。
ひかり?
辺りの岩がチラチラと輝いている。
よく見ると、小さな石が自ら光を発していたのだ。
まるで天にある星の欠片のように。
上を見上げると今まで気付かなかった偽りの星空が降って来た。
なんと幻想的な風景。
自ら光を放つ物質を含む岩が、無数な星の真似をしているようだった。

急に頭の中で声がした。
・・・私と話したければ・・・
・・・扉を開けて中に入ってくるがいい・・・

前方遥か先に大きな黒い扉見えた。
あの扉の向こうに黒龍がいる。
ニ匹はゆっくりと立ちあがった。
そして歩みを始める。

しかし歩いても歩いても近づかない扉。
それでもニ匹の目は扉から離れない。
じっとその目標を見失わないように見つめ続ける。
今度は急に足が動かなくなった。
翼の次は足。
黒龍はどうあっても、私たちに会う事を邪魔したいらしい。
ニ匹は地面に這いつくばり、腕の力だけで移動する。

長い長い扉への道。
時間をかけてだがゆっくりと確実に前へと進む。
扉が近づいてきた。
前へ前へ。
ただひたすら前に進む事を続ける。
動きを止めないニ匹。
その姿をじっと見つめる影。
ニ匹の遥か上空。
浮遊したまま一匹の龍が佇んでいた。

扉まで後一歩。
そしてついに。
身体ごとニ匹は扉にぶつかりながら開けた。
開けられた扉。
ニ匹は荒い息を整える。
目の前には大きな石で出来た椅子。
しかしそこには誰も座ってはいなかった。
黒龍は何処に?
辺りを見回すニ匹に黒龍の声が聞こえてきた。
頭の中ではない、生の声。
その声の行方。
自分たちの遥か上空。
見上げる先に黒龍の姿はあった。

自分たちよりも黒い翼。
所々、草や石がこびりつく身体。
心の中まで見透かされてしまいそうな、まっすぐな小さな目。
右眉の上に大きな傷跡が見える。
黒龍はニ匹の前に降り立った。

「よく私の罠をくぐり抜けてここまできたものだ。
約束だ。
命を懸けてまで、私に会いに来た理由を聞こう。」
落ち着いた、そして心まで染み込んでしまいそうな低い声。

その問いに答えて、ここに来た目的を話し始める。
「あなたにお願いがあって来ました。」
「どうしても救ってほしい人がいるんだ。」
ニ匹の決意のこもった言葉。
黒龍は次の言葉を言う前に話し始める。

「あの人間の女がそんなに大事か?」
まだ何も話していないのに、何故それを知っている?
黒龍の問いに疑問の顔を浮かべる。
「ここに来る間、毒で弱った隙に少し心の中を見せてもらった。
ここに来ればなんでも願いが叶う。
などと馬鹿げた妄想にとりつかれた者たちが時折やってくる。
身の程知らずは底を見る前に消えてもらう。
しかし、お前たちは面白いと感じた。
だからここに通した。
お前たちの心にある、あの人間の女。
龍王までも心を揺らすあの女。
ただの人間なのに、そこまでして助ける価値があるのか?」
「価値などと・・・。
私はただ笑顔でいてほしいだけなんだ。」
「俺も純粋にただ、笑ってそこにいてほしいだけだ。」

龍王、青龍である蒼龍、赤龍である紅龍。
これだけの強い三匹の龍が望むたった一人の人間の命。
どれだけの者を惹きつける存在なのか。
か弱き人間の為、たかが一人の人間の女の為。
この二匹は、この何が起こるか分からない最果ての地までやって来た。
そこまでして欲しい者。
そこまでしてまで救いたい者。
「俺にその人間の命を救えと言うのだな?」
その問いに力強く頷くニ匹。

黒龍は目閉じると少しの間考えているようだった。
そして意を決した様に言いだした。
「人々は私を冥王と呼ぶ。
生も死を操れると思われているようだが。
残念ながら、それは迷信だ。
俺にも生死をどうこうする事は出来ない。」
出来ない?
黒龍でもそれは困難な事?
やっぱり無理な事なのか?
スーを助ける事は出来ないのか?
ここまできたのに。
スーを助けられない!!
身体の力が抜けていく。
二匹はその場に膝をつく。
衝撃的な事実が二匹に告げられた。
しかし、少しの光。
希望の道もまた黒龍から告げられる。

「ただ次への道しるべを示す事は出来る。
人間の命は龍に比べて儚いもの。
次に転生するとき、同じ魂を捜す為の道統べを刻みつける。
魂への刻印。
魂に印を刻みつける儀式。
そうすれば、確実に探し出す事が出来る。
しかし何年先になるかは分からないがな。」

それを聞いたニ匹は、複雑な顔を見合わせた。
死はどうしても避けては通れない未来なのか。
どうしても、今助ける事は無理なのか。
別れは逃れられない事実へとなる。
そして現実となる。
「その方法しかないんだね?」
「それが一番いい方法なんだな。」
一旦は別れる事になっても、いつかは会う事が出来る。
未来に続く別れ。
苦渋の選択。
それがたった一つ希望への道。

「やってくれるのか?」
「三匹の龍をも惹きつける、その人間。
俺も会って見たくなった。
俺はお前たちより長く生きてきた。
人も龍も暗い闇の心で満ち満ちている。
俺はそんな者を見たくなくて、もう永い間ここで暮らしてきた。
久しぶりだ。
こんな気持ちになったのは、自分で何かしたいと思ったのは。」
黒龍の表情が少しだけ和らいだ気がした。
「それに龍王にも久しぶりに会って見たくなった。
あいつの今の不抜けた姿でも見に行くとしよう。」
「龍王を知っているのか?」
黒龍は一瞬遠い眼をした。
「昔の事だ。」
何かを思いだしたのか。
その後、沈黙が辺りを包んだ。

黒龍からもらった治癒薬で驚くべき回復をしたニ匹。
次の日黒龍と共に出発した。

その頃、翡翠は龍王の部屋で微かな命を繋いでいた。
小さく浅い息をする翡翠の側で龍王はずっと手を握っていた。
もうまさに翡翠の命は尽きようとしていた。

「こう・・キスして・」
龍王の眼が一段と優しくなる。
翡翠がこんなに私に甘えてくるなんて。
翡翠が自分からそんな事を言うとは。
今まで無かったことだ。
そこまで翡翠は弱ってきているのだろう。

「こんな・わたし・・じゃ・・いや?
ほんとは・・ね。
あのとき・・はくりゅうとして・の・いやだった。
ほかの・・ひとを・・とても・・・いやだった・の。」
翡翠の素直な気持ちが溢れてくる。
龍王はあの時の自分の行動に、後悔した。
こんなにも翡翠が悲しい思いをしていたとは。
「もうあんな事はしない。
翡翠だけだから、これから先もずっと。
愛している。」
自然に零れ出る愛の言葉。
心からの嘘偽りない気持ち。
私は翡翠に優しく、この上なく本当に優しい口づけをした。
とろける様に、溶け合い様に、一つに交わる口づけ。
心の芯まで熱くなる行為。
何度も何度も。
身体の全てで翡翠を感じ、喜びを感じる。

しかし幸福な時間はすぐに終わりを告げる。
「こう・・こ・・う。」
微かな声が私を呼ぶ。
私は胸が張り裂けそうな痛みに苛まれながら、顔を近づける。
「あり・・が・とう。
わたしのぶんまで・・しあわせ・に・・なって」
「いくな・ひすい。
お願いだ、置いていかないくれ。
翡翠のいない世界なんて。
翡翠がいないのに幸せになんかなれるわけないだろう。
私を一人にしないでくれ。」
龍王の力のない声。
翡翠の手が私の頬に触れる。
「泣かないで・・・笑ってて・・・。
私、こうの笑顔が好きだから、ね。」
泣く?
私は泣いているのか?
自分の頬に触れている翡翠の手が濡れていた。
悲しい時に涙は出るものなんだな。
感情の一つ、人間の持つ哀しい時の表現の仕方。
また新しい感情を知る。

その時、蒼龍と紅龍が部屋に勢い込んで入ってきた。
そしてその後ろからもう1人。
懐かしい顔が姿を現す。

「久しぶりだな龍王。
すっかり柔らくなったな。」
黒龍は昔、私が翡翠の為強い力だけを求め荒れていた時代。
私を強くしてくれた龍だった。
その頃から誰もよせつけなかった黒龍だったが、戦いに傷ついた私を他の龍から助けてくれた。
そして何も理由を聞く事もなく、毎日私を鍛えてくれた。
しかし私が龍王として認められた日。
いつの間にか姿を消した。

「黒龍!!」
驚いたように立ち上がる龍王。
「あの時大きな力を欲したのは、その人間の為だったと後で噂で聞いた。
そして今度はその人間の為に涙するか。
やっぱりお前は面白いやつだ。
また面白いものが見れた。
龍がこれほどまでに人間に執着するとはな。」
黒龍は昔の様にニ人の様子を見て頷く。

「あの時はいつの間にかいなくなって、礼も言えなかった。
今ここで新ためて感謝の言葉を言わせてもらいたい。」
「あの時は気まぐれで助けた。
そして強くなりたいと言う願いを叶えてやってみただけだ。
感謝される事は何もない。
面白そうだから、興味があったからやっただけの事。」
龍王はそれでも気持ちを伝えようと頭を下げた。
それを驚いた表情で見た後、優しい目で見守った。
「つもる話は後だ。
それより今はする事があるだろう?」
黒龍は龍王の肩をポンポンと叩くとこれからの事を話し始めた。

「さて着いてすぐだが本題に入ろう。
私がここに来た理由と目的を。」
黒龍は自分の所に命を顧みず来た蒼龍と紅龍の事。
その理由と目的。
今のままの翡翠の命を救う事は出来ない事。
しかし次への道しるべを示す事ならできる事。
魂への刻印。道しるべ。
次に転生するとき、同じ魂を捜す為の道しるべを刻みつける事。
そうすれば、何年先になるかは分からないが確実に探し出す事ができる事。
黒龍は淡々と話し続けた。
ただ事実だけを、真実だけを。

ただじっと聞いていた龍王。
もうほとんど動かなくなった翡翠の身体を抱きかかえる。
その場に二人だけしかいない。
だれも今の二人のは近づく事は出来ない空気。
完全に隔離された世界がそこにあった。
髪を優しく梳く。
そして愛おしげに見つめる。
これが、あの全ての者が恐れる龍王の姿なのか?
なんて優しい表情をするんだ。
人間のように感情豊かに表情を変える龍王の姿。
ここまで変えた翡翠の力の大きさ。
そして二人の絆の強さ。
信じ合う心の強さ。
他の者は、ただただ見守るだけしかできなかった。
しばらくの静寂が辺りを包む。

そして空気が変わった。
龍王が決心したように語り始める。
「何年かかってもお前を待っている。
何処にいても必ず探し出してみせる。
お前でしか私は何も満たされない。
何も望まない、お前だけでいい。
心から欲するのは、今も未来も永遠にお前だけだ。」
深い愛情。
切ない思い。
切れない絆。
繋がれる愛。
変わらない想い。
揺らがない愛。

魂への刻印。
「この人間の魂に印を刻みつけるには、それ相当の代償が必要となる。
ここにいる誰かに何かしらの変化がある筈だ。
それがどんな事なのか、それはやってみないと分からない。
再度聞く。
それでもこの儀式を進めてもいいか?」

黒龍はそこにいるみんなの顔を見回して確認する。
みんなは了承する意味で頷く。

黒龍はそれを受けてまた頷く。

黒龍は翡翠の胸の上に手をかざす。
・・・この者に魂の刻印を刻む。
・・・この者の魂に道しるべを刻む。
・・・この者の魂が迷わずここに戻れるようにここに刻む。
・・・この者の魂の平穏を刻む。
・・・この者の魂の為、ここに揃いし者の合意、代償の下。
・・・刻まれよ刻印よ。
凛とした声がこの部屋に響き渡る。
黒龍はそれを受けてまた頷く。
黒龍は翡翠の胸の上に手をかざす。

凛とした声がこの部屋に響き渡る。

しばらくして蒼龍が左腕を抑えてうずくまる。
光の灯が一つ身体から生み出される。
しばらくして紅龍が右足を抑えて座り込む。
ニつ目の光の灯が生み出される。
そして最後に龍王が左目を両手で覆い唸り始める。
三つ目の光の灯が生み出される。
それぞれから生み出された三つの光の灯。
黒龍の手の中で一つに集まり、大きな光の球になる。
黒龍はそれを見届けると手の平に乗せた。
そしてそのまま、翡翠の額の上に近づけた。
翡翠の身体が一瞬ピクリと動いた。
次の瞬間光の球は、翡翠の身体の中に入り込んでいく。
それは音もなく沈み込んでいった。
途端の輝きだす模様。
翡翠の額に十字に似た紋様が浮かび上がった。
魂の刻印。
儀式の成功した証拠。
翡翠の魂に道標が刻まれた。

薄っすらと開いた翡翠の目。
みんなを見て弱々しく笑った笑顔。
今の精一杯の気持ちの形。
「あり・・が・とう。」
そう言ったと同時に力なく落ちていく腕。
翡翠はそのまま深い眠りに落ちていく。
それは二度と目覚める事のない眠り。
安らかに眠りが翡翠に訪れた。
いつか逢う事を約束して。
龍王は翡翠の身体を抱きしめて、人目もはばからず泣いた。
それは始めて感情のまま、哀しいという想いのまま泣いた。
とめどなく流れる涙はどこに流れゆくのか。
これほどまでに痛く苦しい感情。
翡翠という生きる希望、目的を失くした龍王。
蒼龍と紅龍も自分の眼から流れる雫を見た。
これが悲しいという感情。
辺りは悲しい思いに深く深く包まれていった。

「転生したスーを見つけられるまでは、龍王の時は止まったままだな。
時が動きだす頃、また会いに来るとしよう。
その時はまた面白い物が見れる事を期待しているよ。」
そう言って黒龍はまたどこかに行ってしまった。

それからの龍王は翡翠に会う前に戻ったようだった。
一切の感情が無くなったかのように、静かに過ごす時間。
龍王にとっては、翡翠の会えない今の時間は無意味だった。
そして前よりも誰も寄せつかせなくなった。
言葉さえかける事をみんなは怖がり、より一層孤独になっていった。
少しばかり心を開いたと思っていた蒼龍と紅龍さえも、態度は同じだった。

龍王にとってどんなに大切な存在だったかを、改めて感じさせた。
時折見えなくなった目に触れる。
自分の光を失くした目と翡翠はどこかで繋がっている。
その事だけが今の龍王の支えでもあった。
いつかいつの日か会える。
しかしそれはとてつもなく永く、冷たく暗い時間。
龍王の時間は完全に静止する。

蒼龍と紅龍も動かなくなった足と腕に触れ、翡翠を想う。
そして少しでも早く、再会が早く訪れる事を懇願する。
再び少女の笑顔を見ること、それだけがみんなの願い。
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