私の中におっさん(魔王)がいる。


 * * *


 空間が歪んで、縁側が映った。足を出した先に、クロちゃんが立っていた。眉根を寄せて不機嫌そう。だけど、私に気づいた途端に和らいだ。

「どうしたの?」
「うん。待ってた」
「うん?」

 小首を傾げる私に、クロちゃんは無邪気に笑いかけた。

「どこ行ってたの?」
「ドラゴンの収容小屋だよ」
「あそこか。あんなとこ楽しい?」
「楽しいよ。可愛かったし」
「そ」
「あっ、昼間クロちゃんのラングルも見たよ。シンディ」
「シンディは美人だろ」

 ふと優しい顔で微笑んだ。
(へえ、クロちゃんってこんな顔もするんだ)

「うん。シンディって赤くてキレイだよね」
「まあね。それに気高いんだよ」

 誇らしげに言ってクロちゃんは、にこっと笑った。

「これ、あげるよ」

 ポケットから取り出したのは、黄色い小さな石がついたペンダントだった。余光の淡い光が僅かに反射して、きらりと光る。

「良いの?」
「うん。これ渡そうと思って。これね、ウチの国では有名な石で、福護石(ふくごせき)っていうんだ。これを持ってる人は、不幸から護られるんだって。代々大切な人に渡すならわしなんだ」
「へえ」
(ん? 大切な人?) 
「キミがちゃんと帰れるように」

 ふわっと笑ったクロちゃんの言葉に、心がわっと温かくなった。
嬉しい。自分が帰れることを願ってくれる人が、自分意外にもいることがたまらなく嬉しかった。

「……それでね、あの……言いにくいんだけどさ」
「うん?」
「もしかして、毛利さんがキミのこと好きだとかって思ってたりする?」
「え?」

 図星を点かれて、胸が高鳴る。

「――あのね」

 クロちゃんは突然声のトーンを落とした。窺うような目線からは、詫びるような感情が窺えた気がした。

「そういうことじゃ、ないんだよ」
「……え?」

 クロちゃんはすがるような瞳で見て、私の両腕を抑えた。覗き込んで、眉根を寄せる。

「毛利さんは、キミの中の魔王が欲しいだけなんだ」

(は? どうして? どういうこと? えっ、あれって告白じゃないの?)

 頭が追いつかない。

(私、また勘違いしたってこと?)
「あのね。冷静に聴いて欲しいんだ」

 宥めるように言って、クロちゃんは真剣な表情で私を見据える。真っ直ぐな瞳に射抜かた気分になる。

「ぼくらは、はじめキミが白い空間の中で見たって言うおっさんの死体の中に魔王を入れようとしたんだ。でも、何故かキミの中に入っちゃって」
「それは知ってる」

 口を挟んだ私に相槌を打って、クロちゃんはとんでもない話をした。

「それでね。じゃあ、キミを手に入れて思うように動かそうって。キミを恋に落とした者が魔王を手に入れるんだって――風間さんが」

 まさか。あの温和でやさしい風間さんが、人を弄ぶような提案なんてするはずない。クロちゃんってば、何の冗談なの?

「だからね、毛利さんのことも、そういうことなんだよ」

 クロちゃんは強い瞳で私を見据えた。
 頭が真っ白だ。なんて言ったら良いのか分からない。冗談じゃない? 本当のことなの?でも、風間さんは――。

「風間さんは私に全然恋愛感情なんてないみたいだったよ? クロちゃんが嘘を言ってるとは思わないけど、でも、そんな話信じられない。それにみんな私を元の世界へ帰そうとしてくれてるじゃない」

 クロちゃんから目をそらした。掴まれている腕に力が入って、無理矢理目線を合わせられる。真剣で、必死な目。私はまた、目を逸らす。

「風間さんはそうだよ。風間さんは三条雪村の執事だよ? 執事が主を差し置いて賭け事に興じたりする?」
「賭け事……?」

 思わずクロちゃんを見た。

「そうだよ。キミを一番に落とした人が魔王を手にするってことは、そういうことでしょ?」
「ゲームってこと……?」

 ぽつりと呟いた途端、改めてショックが襲う。

「それに、言い辛いんだけど」

 クロちゃんは言葉を濁して、不意に目線を下げた。
(なに? なんなの? これ以上何があるって言うの?)
 不安が渦を巻く。

「キミは、一度でも風間さんや他のみんながキミを元の世界へ戻すために何かをしてるところを見たことがある?」
「……それは」

 たしかに、一度もない。

「風間さんは口で探してるっていうばっかりじゃなかった?」
「そう……そうだった」
「でしょう? 帰すつもりなんて、最初っからなかったからだよ」
「そんな……!」

 声が悲痛に歪む。

「じゃあ、私は最初から騙されてたってこと?」

 パニックになりそうな私の腕を、さらに強くクロちゃんは握りしめる。そして、残酷なほどはっきりと頷いた。
 ショックが全身を駆け抜けて、空になった頭に血が上る。

「じゃあ、クロちゃんもそうなの!? 親切にしてくれたのも、このペンダントをくれたのも――そのため!?」
「違うよ! そんなわけないだろ! もしそうなら、こんなこと言ったりしない!」

 握っていた腕を引き寄せられて、力強く抱きしめられた。回された背中が痛いくらいで、押し付けられた胸板が硬くて、まだ子供で、線が細くて、力なんて全然ないと思ってたクロちゃんは、しっかりと男性だった。

「そうだろ?」

 耳元で、懇願するように囁く。
(そうだよね。私を騙して魔王の力を思うようにしたいなら、そんなことを告げるわけがない)
 ほっとして、目を閉じる。
(クロちゃんだけは、信じても良いんだ)

「乗せられるな、馬鹿者」

 突然響いた険のある声が背中を振るわせた。クロちゃんから離れて振向くと、そこには無表情の毛利さんがいた。

(なんなの、何しにきたのよ?)

 騒いで押し帰したくなったけど、ぐっと堪える。
 握り締めた手のひらが痛い。

「部屋で待っていたが、中々来ないので出てみたら……なに黒田の口車に乗ろうとしている。小娘、貴様は馬鹿か」

 はあ!?

「馬鹿とはなんなのよ! じゃあ、今のクロちゃんの話は嘘だって言うの!? 私を騙して、魔王の力を思うようにしようとしてたって!」
「その通りだ」
「――そ……」

 その通り――?
(開き直るつもり!?)

 唖然とする私に向って、毛利さんは大げさにため息をついた。
 めずらしく、能面のようには見えないけど、今はそんなことどうだって良い!

「貴様の中に魔王があって、それで貴様はどうするつもりだ? 何に使う? お遊戯か?」
「お遊――」
「そもそも、魔王を呼び出すはずだったと最初に告げてある。それぞれの願いのためにだとも、風間は言っていたな? 願いがあって、危険を承知で魔王を呼び出して、貴様に憑依した。事故で貴様の身体に入ったから、はい、諦めますなんてなるはずがなかろうが」

 だからって、だからって――!

「少し考えれば、解ることだろう。何故、事故で呼んだとはいえ、貴様の面倒を献身的にみると思う。見返りが、何故ないと思う。もう一度言う、貴様は馬鹿か」

 絶句した。口があんぐりと開いてしまう。
 頭に血が上り過ぎて、二の句が告げない。

「ちょっと言い過ぎだろ! 大体、ぼくはそんなことに賛成なんてしてないよ!」
「……ほう」

 クロちゃん……。

「大した嘘つきだな。ぼく、あんなん好みじゃないよ。せっかくの魔王帰しちゃって良いわけ? だったか」

 ごく僅かに笑んだだけだったけど、それは明らかに嘲笑だとわかった。

「ぼくはそんなこと言ってないからね。信じて」

 クロちゃんは強く私を見据えた。私はこくりと頷き、毛利さんを睨んだ。

「私は、クロちゃんを信じます!」

 毛利さんは、ほとほと呆れたように深くため息をつく。

「小娘。黒田の戦場での呼び名を知っているか?」
「え?」

(なんなのいきなり)

 戸惑う私に、毛利さんが早く答えろという目線を送った。

「たしか、知将とか、英雄って」
「それは美章での呼び名だ。列国では〝残虐非道の悪軍師〟だ」
「残……悪軍師?」
「ああ。嘘の情報をわざと流し、敵の混乱に乗ず。それは基本ではあるが、こやつはそれだけに止まらない。乗じ襲った敵の死体の耳や目や、鼻を切り落とし、袋に詰め敵方に送る。しかも送らせるのは、鼻をそげ落とした敵方の兵にだ。それが、やつの初陣だ。だがやつの非道はそれだけではない。敵方の商――」
「おい!」

 突如響いたあまりの怒声に身がすくんだ。

(今の声……クロちゃん?)

 恐る恐るクロちゃんを振り返って、思わず固まってしまった。
 怒りに満ちた表情。ナイフのように、鋭い瞳。怖い、これがあの、クロちゃんなの?

「殺すぞ」

 ぞっとした。
 あまりに憎々しげな声音だったから。
(クロちゃん、どうしたの?)

「今のは問題発言だな。貴様が外交という名目でここに居る事を忘れるなよ。また戦争を起こす気か?」

 毛利さんは極めて冷静だった。対照的に、荒れ荒んだ表情で、クロちゃんは叫んだ。
 
「ハッ! 戦争どころかこの世界全てをぶっ壊してやるよ!」

 なんでそんなこと言うの? 意味わかんない。本当に、どうしたの?

「それが、貴様の願いか」

 短く言って、毛利さんは私を見据えた。

「これが、こいつの本性だ。好戦的で、嘘つき。相手より有利に立つことだけが、こいつの欲を満たす」
「うっせえよ、おっさん! わかった口きいてんじゃねぇよ!」

 まるで獣が吠えているように、クロちゃんは叫んだ。苦々しく毛利さんを睨む。

(もう、わけわかんない。これが本当のクロちゃんの姿なの? っていうことは、毛利さんが言うようにクロちゃんも私を騙してたってこと? 何が真実なの? 何を信じたら良いの?)

 クロちゃんを窺い見たけど、毛利さんへの怒りしか読み取れない。全然こっちを見てくれない。

「我々は貴様の中の魔王を狙っている。それを知った以上、どうするか、どうなるかは、我々次第ではない。貴様次第だ」

 毛利さんは踵を返し、歩きかけて振り返った。

「だが、言っておくぞ。俺は必ず貴様を手に入れる」

 決意のような声だった。
 毛利さんはそう言い残して姿を消した。
 おそらく、南の区画に帰ったんだろう。

(あの時の、貴様を手に入れるってそういうこと)

 私は妙な納得をしてしまった。

(貴様って、私の中の魔王って意味だったのね)

 虚しいような、ほっとしたような、なんだかよくわかんない気持ちになって、私はふと苦笑をこぼした。

「なんか、ごめんね」

 不意にクロちゃんが落ち着いた口調で言った。視線を向けると、クロちゃんにはさっきまでの殺気はなかった。

「怖かったでしょ?」
「えっ、ううん!」
「無理しないで良いよ。あははっ、変なとこ見られちゃったなぁ」

 フード越しに頭を掻きながら困ったようにクロちゃんは笑った。

「……あのさ。さっきの話なんだけど」
「……うん」
「本当だよ」
「え?」
「ぼくも賛成してたって話」

 頭が真っ白になる。

「どうせ他のやつに聞いたらばれちゃうんだろうし、先に言っておくよ。最初はたしかに賛成してたし乗り気だった。でも、今はそうじゃない。それだけは、信じて欲しい」

 クロちゃんは強く私を見て、切なそうに笑った。
(信じて欲しい? 一体何を信じろって言うの?)
 本当に、みんな私を騙そうとしてたの?

「……アニキも?」
「アニキ?」
「……なんでもない」

 クロちゃんは怪訝そうに眉を寄せたけど、そっけなく返した。
 もうなにも聞きたくなかった。
 クロちゃんのこと、今は違うんだって信じたいけど、信じられない。信じて良いのか判らない。

 私は、当てもなく駆け出した。
 背後で、クロちゃんが何か言おうとしたのを感じたけど、振り返るつもりはなかった。
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