私の中におっさん(魔王)がいる。


 * * *


 私はどこかの区画の廊下に転移した。
 なにも考えてなかったから、どこかはわからない。でも、転移できたということは、無意識にどこかを思い浮かべてはいたんだろう。

 辺りを見回す。
 なんとなく見覚えがある。
 記憶を頼りに移動すると、縁側があって、すぐにドラゴンの収容小屋が姿を現した。
 西の区画だ。

「どうした?」

 不意に声がして振り返るとアニキが不思議そうな表情で立っていた。
 私は思わず顔を伏せる。
 
「もう夜だぞ」

 子供を叱るような声でアニキが言った。
 そこで、ふと気がついた。
 日が沈み、辺りはもうすっかり暗闇に覆われていた。

「……本当に、どうしたんだ?」

 一度もアニキを見ない私を心配したのか、声が不安そうに揺れる。

「……アニキ」

 一言呟いた途端に、涙が溢れそうになった。
(アニキは違うよね?)

「なんだ、どうしたんだ?」

 狼狽する声が背中から聞こえた。

「……本当なんですか?」
「え?」
「私を、恋に落として魔王を手に入れるんだって」

 意を決して振り返った。せっかく堪えた涙が、一滴頬を伝った。

「アニキも?」

 最後の言葉は、震えてしまった。
 アニキは驚いた顔をして、一瞬だけ哀しげに口元を歪ませて、覚悟を決めたように私を見据えた。

「ああ」

 聞きたくなかった。
(そんな肯定、いらない。こんな時にこそ、嘘をついて騙してくれれば良いのに。なんでバカ正直に答えちゃうの)
 そんな風に思う私が、なんだか無性に嫌だった。

 アニキはゆっくりと歩き出し、そして私の横を通り過ぎた。角を曲がって、姿が見えなくなる。

(謝罪も、弁明もしないつもり? それが、男だって、かっこいいって、思ってるわけ?)

 信じらんない。
 ごめんな、その一言があったら、きっとアニキのことは許した。尊敬みたいな感情もあったし、それに……。
 不意に気づいた。

「私、あの人達がいなきゃ、この世界で生きていけないじゃん」

 そうか。だから、謝ってくれたらアニキのことを許そうってどっかで思ってたんだ。
 でも、あの人達は私を元の世界に帰すつもりはない。あの人達の目当ては私の中にある魔王なんだから。

 だけど、このまま許すの? 生きられないから許すの? それで、いつか誰かに心ごと魔王をあげるの? そんなのバカみたい。

「……ふっ、ふっふっふ」

 不意に口から笑い声が洩れる。


「そんなのイヤ! 帰れないなら、せめて魔王はやつらに渡さない! こんなところ出てってやる!」

 呪符で東の区画へ移動し、私は一度潜り抜けたことのある門の前へ立った。ここを通り抜けたらゴンゴドーラのいる危険な森だ。
 でも、ここにいたくない。
 私は門を睨みつけた。右足に力を込めて、走り出す。門に張られた結界は僅かな抵抗を見せたけど、最初に潜った時のような小さな破裂音はしなかった。

 シャボン玉を割れずに通り抜けたような感覚がして、私は門の外に勢いよく駆け出す。坂をあらん限りのスピードで走りながら、不意に笑えて来る。

「ふふっ、うふふ、あーはっはっはっは! 絶対、やつらに魔王はやんねーよぉ! なんならゴンゴドーラにでも食われてやるわよ!」

 坂を走り下りながら、笑い転げる女……傍から見たら不気味そのものだろうけど、でもそれでも良い。
 誰も見てやしないんだから。

< 106 / 116 >

この作品をシェア

pagetop