私の中におっさん(魔王)がいる。
* * *
「どこに行くの?」
質問に二人は黙ったまま、何も答えなかった。でも、すぐに目的地は判明した。
石でできた一列の受け皿、藁葺き屋根、騎乗翼竜の収容小屋だ。
数十メートル先には、すでに騎乗翼竜(ラングル・ドラゴン)が小屋から出され、数人の鎧を着た人達がそれぞれの騎乗翼竜の手綱を持って立っていた。
中には女の人もいる。
(え? もしかして本当に攫われるの!?)
今頃になって、実感がどっと湧いてきた。
戸惑う私の足を軽く蹴りだすように、柳くんは足を運ぶ。私の足は勝手に歩かされる。そうしながら、柳くんは少し先を歩く毛利さんに話しかけた。
「呪符、奪わなくて良かったんですか?」
「風間あたりが代わりを持っているだろう」
「なるほど、無駄ですか」
納得! というように明るく言って、柳くんはやっと首筋から刃物を放した。
ほっと息をついたけど、右腕が握られたままで、今度は右腕を引っ張られながら歩く。柳くんの握力は意外に強くて、腕に食い込んで痛い。
私はもっと痛くなるのを承知でその場で踏ん張った。
反動で柳くんの手が腕にぐっと食い込む。
「……っ」
圧迫した痛みが走ったけど、思い切り腕をふって柳くんの手を振り解いた。
「なんなの!?」
私が叫ぶと毛利さんは能面を崩し、うざったそうな顔をしたように見えた。
「なんなのとはなんだ」
「そのままよ!」
毛利さんは大きくため息を吐き出した。
あからさまに、呆れているのがわかる。
「来い」
一言だけ冷たく言って、腕を捕られ、引っ張られそうになって、私はその場に踏ん張った。
一瞬、毛利さんの片眉が不快そうに上がって、力任せに引っ張られた。足が躍り出る。
「ちょ、嫌! 離して! ――痛い!」
拒絶にも嘆願にも、関係なく毛利さんは進む。
ついには騎乗翼竜の前まで連れて来られてしまった。
「乗せろ」
毛利さんは、部下らしき人達に短く言って、私の腕を引っ張り、乱暴に前へと押し出した。
よろけたところを、部下らしき人達に支えられる。
私は毛利さんを睨みつけた。
「なんなのよ、私は物じゃないのよ!?」
怒りで唇が震えった。ぎゅっと唇を噛み締める。
けれど、毛利さんは何も感じていないかのように、いつもの無表情で、私を見下ろしていた。
(悔しい!)
眼に涙が薄っすらと滲んだ。
「乗せろ」
もう一度、毛利さんは短く言って目線を逸らした。
部下らしき者達は、私の背中を押して騎乗翼竜に乗せようとした。
その時、影が覆った。仰ぐと同時に、それは背後へと降り立つ。驚いて振り返ると、私の背中を押していた一人が、尻餅をついたのが見えた。そして、それ意外の全員が空を飛ぶようにして吹き飛んでいた。
目の前には、大きな剣を薙いだアニキ。
「花野井」
毛利さんは、珍しく感情を表に出す声音をした。不快そうに言って、アニキを僅かに睨みながら、いつの間にか抜刀した刀を向けていた。
しかも、何故かさっきより遠くにいる。隣には柳くんの姿もあった。
吹き飛ばされた部下らしき人物達は、ううっと呻きながら、立ち上がろうとするけど、よろけてその場に突っ伏した。
(良かった。死んでない)
「おいおい、毛利。これはいったいどういうこった?」
「貴様に関係なかろう」
「あるだろうが。俺だって魔王を手に入れる権利はあるんだぜ? それがなんだ、一人で掻っ攫おうってはらか、あ?」
(魔王……アニキもやっぱりそうなんだ)
思わず唇を噛み締めた。微かにじんわりと血が滲んで、鉄臭い味がする。アニキは本当は違うんじゃないかなんて、どこかでまだ僅かな希望を抱いていた自分に嫌気が差す。
「ちょっと待った!」
「間に合いましたね」
毛利さんの背後から、クロちゃんと風間さんと、雪村くんが駆けて来た。必然的に毛利さんと柳くんを挟み込むような形になる。
「話は聞かせていただきました。花野井様の言うとおりです。魔王を手にする権利は、ここにいる五人にあります。それを、こんな……」
「そうそう、そうだよ。こういうのなんて言うか知ってる? 盗人っていうんだよ、盗人!そもそも、彼女を恋に落とした人が手にするって約束だったじゃん!」
風間さんとクロちゃんの矢継ぎ早の非難にも、毛利さんは表情を崩さなかった。
「だから、そのつもりだが」
「は?」
「小娘を攫ってじっくりと恋に落とすつもりだ。そうすれば、晴れて魔王は我が手中というもの」
「屁理屈だっ!」
クロちゃんがムキになって毛利さんを指差す。
「大体、滞在期間中に恋に落とすなど、そもそも無理だろうが」
「よく言うよ。お前が邪魔しなきゃなあ――!」
言いかけてクロちゃんは歯軋りをした。
(お前が邪魔しなきゃ、ぼくは今頃魔王を手にしてたかも知れないのにって?)
冗談じゃない。
(今はそんなつもりじゃないから信じて欲しいですって? よく言える)
私はつけっぱなしだったペンダントを外した。スタスタと歩き始める。
「お、おい」
戸惑う声音を出したアニキを無視して、解りにくく怪訝な顔をする毛利さんと、キョトンとした表情の柳くんの間を通り抜けた。
腕を掴まれるかもと心配が過ぎったけど、そんなことはなかった。
そのまま真っ直ぐに歩き、訝しがっているクロちゃんの前で止った。
「返す」
一言だけ告げて、ペンダントをかざした。
「あ、あの――」
クロちゃんは言い訳の言葉を捜そうとした。多分、自分の失言に気づいたんだろう。でももう時すでに遅しと悟ったのか、少しだけ気まずそうに俯いてペンダントを受け取った。
私は踵を返すと、そのまま来た通りに戻り、戸惑った様子のアニキの横を通り過ぎて、乗せられようとしていたラングルによじ登った。
「お、おい!」
さすがにアニキは声を上げ、他の人達も止めようと一歩前に飛び出した。ただ、やっぱり毛利さんは能面づらで突っ立ってたけど。
私は、高くなった目線で彼らを睨み付けた。一番背の大きいアニキですら、今は私より低い。
心はなんだか落ち着いていた。
なるべく大声が出せるように、お腹に力を入れる。
そして、吐き出した。
「――私は魔王じゃない! 一人の人間です!」
キッとさらに彼らを睨みつける。
「私の中にはたしかに魔王があるんでしょう。でも、だったら、昨日毛利さんが言ったように、魔王は私のものですよね? 何故、あなた達が決める権利があるのですか? 所有者は、私です!」
毅然と言い放つと、彼らは「うっ」というバツの悪い表情を浮かべた。(毛利さんだけは相変わらず)
「私の気持ちを無視し、魔王を手に入れようと画策するのなら、私は今すぐこのラングルに乗って飛び立ちます!」
彼らが狼狽するのが手に取るようには判った。
(ハッ! うろたえるが良いわ!)
「風間さん、私はこの結界を抜けられるんですよね?」
わざとなじるように尋ねると、風間さんは取り繕ったように笑んだ。
「それは……その、どうでしょう」
「抜けられます」
毅然とした態度ですぐに言い返し、「昨日の夜も通れましたから」と、意地悪く付け足す。
風間さんの笑みが若干引きつった。
ちょっとだけ複雑な気持ちになったけど、振り払った。
「と、いうことは、私が飛び立ち、どこぞへと飛んでしまえば、あなた方があたふたと、ラングルに乗り、結界を解いても、私には追いつけなのではありませんか?もしくは、すでに姿がないかも知れません。魔王の力で!」
嫌みったらしく言って、彼らの顔を見渡す。
「私の中のものは、私に権利があります。勝手に手出ししないで下さい。――いいですね?」
念を押すと、最初にクロちゃんがため息をついた。
「……わかった。わかったよ」
降参と言うように、両手を挙げる。
それに続いて、アニキが深く頷いた。
「ああ、わかった。約束する」
「俺、俺さ、魔王とかどうでも良いから。キミの嫌がることはしないよ。ごめんな」
明朗に、でもすまなさそうに言って、雪村くんは頭を下げた。そんな彼を若干呆れたように一瞥して、風間さんも頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
柳くんはどうするのかな? と言うように、心配と興味の間の表情で毛利さんを見やった。毛利さんは倒れている部下をチラリと一瞥して、深く息を吐き出した。
「わかった」
そう一言だけ呟いた。
私は満足して、にんまりと笑った。
そして、きっぱりと宣言する。
「私、誰とも恋に落ちる気なんてありませんからね。あなた方みたいな人、誰が好きになりますか!」
ふん! と胸を張った、次の瞬間だった。
ガガン! と、大きな衝突音が響き渡り、頭上の結界が揺らいだ。
「なに?」
不安に駆られて辺りを見回した。
続けざまに激しい衝撃音が伝わってくる。
反対側の東の門の辺りから粉塵が上がるのが見えた。
「まさか……!」
風間さんが顔を顰め、声を荒げた。声音からは半信半疑ながら、なにかを察したようだった。
「風間様! やつらです!」
突然結さんが駆けて来て、風間さんの前に跪く。
(やつら?)
首を傾げながら周囲を見回すと、みんなそれぞれに思い当たるふしがあるのか、途端に表情が険しくなる。
あの無表情の毛利さんからでさえ、ぴりっとした切迫感を感じた。
(何が起こってるの?)
「申し訳ございません。読みが外れました」
結さんは冷静に謝って、すっと立ち上がる。
「迎え撃って来ます」
「いや、待て。それよりも彼女を――」
焦った調子で風間さんが何かを言い終わる前に、毛利さんがひらりと跳躍した。私の背後に着地し、そのままラングルに座り込んだ。
驚いて小さく悲鳴を上げた私から手綱を奪うように掴んだ。私の背中と毛利さんのお腹が密着する。
文句を言う前に、毛利さんはラングルを羽ばたかせた。
「きゃあ!」
風が巻き起こり、すぐ脇で大きな翼が羽ばたく。髪が風に乱れ、ふわりと身体が浮いた。本能的に重力にしがみつこうとする身体は、抵抗むなしく宙に浮く。
「飛んでる……」
まだ三,四メートルというところだけど、正直言って怖い。
元々高いところは得意じゃないけど、浮遊感が空から落ちた時の記憶を蘇らせた。
――ガガガン!
一層激しい音が、東の門、西の門、南の門、北の門の四方向から響き、揺らいでいた結界は、まるで風船を割ったかのように弾け飛んだ。
(一体なんなの? 何が起こってるの?)
まるで事態が呑み込めない。
ただ、わかることは、良くない事が起こっているということだけだった。
不安に駆られながら、辺りを見回すと、もうすでに多くの人がラングルに乗り込んでいた。
この場にいた七人はもちろん、翼さんも駆けつけて、収容小屋からドラゴンを出そうとしている。
倒れていた毛利さんの部下らしき者達も起き上がって、収容小屋へと駆けていた。縁側から月鵬さんが飛び出してくるのが見えた。
混乱が続く。
この場にいるみんなが焦り、苛立ち、恐怖しているのが、その表情から見て取れる。中にはあからさまに声を荒げる人もいた。
「先に行く」
背後から、抑揚のない声が響いた。
周りにたくさんの人がいる中で、誰に告げたのかわからなかったけど、見回した顔の誰もが頷いていた。
「先に行っちゃうんですか――きゃあ!」
私を乗せた騎乗翼竜が大きく身体を反り、上空を目指そうとする。私は毛利さんの胸にぶつかった。
体勢を整える間もなく、毛利さんの持っていた手綱が急に右へと引かれた。
大きく右方向に傾き、体が重力に持っていかれそうになる。その時、私の目は信じられないものを捉えた。
白矢を一撃で仕留めてしまえそうなほど、大きな槍が上空から降ってきた。それも、さっきまで私達が居た場所に……。
ぞっとしたのもつかの間、同じ槍が何本も降ってくる。
「キャアアア!」
思わず目を瞑った。
(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬー!)
「チッ!」
舌打ちが背後から聞こえた。
身体は視界を失ったまま、右に左に激しく動いた。
一瞬動きが止まったように感じて、強張った体の力をなんとか解いた。固く閉じた瞼を開ける。
するとそこはすでに、遥か上空だった。おそらくビルの五階分くらいはある。
全身が震えた。
その高さにだけじゃない。眼下には、血を流しながら唸るラングル。鎧を貫かれ、横たわる人間が何人もいた。庭は、血の海だった。
震える手で口元を覆い、ハッとした。
「みんなは、無事?」
周囲を見回すと、アニキ、クロちゃん、風間さん、雪村くん、月鵬さん、柳くん、翼さん、結さんは、私達を取り囲むようにして飛んでいた。
ほっと胸を撫で下ろした。
「――良かった」
「まだ終わってないぞ」
背後で毛利さんが冷静に叱責した。
「え? マジで?」
正直無理です――振向きかけて、ラングルが羽ばたいた。上空を目指して身体を仰け反らせる。必然的に仰ぎ見た空に、旋回している五匹の騎乗翼竜の姿を捉えた。見た感じ、五匹ともラングルではなさそう。
そのまま物凄いスピードで上昇していく。
私は、心の中で絶叫した。本当は叫びたかったけど、口は上から叩きつける空気で開かず、息も出来ない。
――ビュン! と、鋭い音がする。
上からの圧力で首を傾けることは出来ないけど、並走する物体を目の端で捕らえた。
次の瞬間、槍が真上から飛んできた。
降り続く槍の雨、その間をラングルはするりするりと抜けていく。
それも、猛スピードで。
(イヤアアア! 助けてっ! 止めて! いっそ気絶させてぇえぇえ!)
強く懇願した次の瞬間、旋回している五体の騎乗翼竜の真ん中を突き抜けた。空を切るような音がして、その衝撃で、五体はよろけ、バランスを失った。
そこに、後続のラングルが割って入り、さらにバランスを失ったところで、結さんが弓を引いた。
矢は一人の男の眉間に躊躇なく刺さり、男は地上に落下して行った。
それと同時に、すれ違いざまに柳くんが、バランスを失った騎乗翼竜の首をクナイで切り裂いた。
騎乗翼竜は悲鳴を上げて落下し始め、咄嗟に仲間の騎乗翼竜に飛び乗ろうとした男の首をはねた。
男の首が宙を舞う。
飛び移ろうとしていた騎乗翼竜に、首がボトンと乗った。
膝の上に首が乗ってしまった男は慄いて、首を放り、その瞬間自分の首も失った。
背後に躍り出た翼さんが、何かの武器ですれ違いざまに首をはねたからだ。武器は何も見えなかったけど、鋭い歯で噛み千切られたような切り傷から勢い良く鮮血が飛び出す。
あまりの衝撃に、言葉を失った。
めまいがする。吐き気が襲ってきて、えづいた。
(気持ち悪い。気色悪い)
意識を失いそうな(いっそ気絶したい)私の背中を毛利さんが強く叩いた。
「イッたい! なに!?」
振り返ると、毛利さんは厳しい目で私を見下ろす。
「しっかりしろ」
強い口調で言って、彼らを見据える。私も導かれるように視線を向けた。相手より上空になって初めて、彼らをまじまじと見ることができた。
彼らはどこかの民族衣装を着ている。なんとなくモンゴルの服に似ていて、槍を入れている籠のようなものには、もう槍が一本しか残っていなかった。
彼らは、恐怖、というよりは緊張といった面持ちでこっちを睨みつけていた。二人とも、歳はそう若くはなかった。三十代から四十代くらい。
(一瞬で、五人が二人になっちゃったんだな)
なんだか可哀想。目を伏せそうになったとき違和感に気がついた。
(あの民族衣装見たことがあるような?)
そうだ。昨日、結さんが着てた服だ。
たしか、危険な部族だとか結さんは言っていた。
(それが彼らなの?)
私は、切迫した胸を押さえて彼らを見る。
(どうして、こんなことになってんだろう?)
彼らが危険な部族だとしても、それで彼らが私達を殺して良い理由にはならないし、私達側が彼らを殺して良い理由にはならない。
(なんで、殺し合いみたいなことになってるわけ? こんなのイヤだ)
「うわああ!」
途端に叫び声が上がって、我に返った。咄嗟に声のした方を向くと、男が落下して行くのが見えた。
(なに? どうして?)
わけが分からなかった。
外傷があるようには見えない。踏み外した? そう思ったとき、きらりとしたものが見えた。
糸だ。男の手首に糸が巻かれている。
その糸は遅れて飛んできた月鵬さんに続いていた。
男は成す術もなく落下し、月鵬さんとすれ違いざまに糸が切られた。
これで本当に、あの男は死んでしまう。
「あの人を助けてあげて!」
思わず叫んでた。
月鵬さんは驚いて息を呑み、そして咄嗟に男の胴に糸を巻きつけた。
「――ん!」
うめき声がし、男の体重と重力がその細い身体にかかったのか、月鵬さんの身体がぐらりと揺れた。
落ちる。
(ああ、そんな、私が助けてあげてなんて言ったから!)
届くはずもない月鵬さんに手を伸ばした。
それと同時に月鵬さんは、ひょいと身体を持ち直した。並走しながらアニキが月鵬さんの腕を取って引き上げたからだ。
(いつの間に……)
「はあ……」
私は心底、安堵の息をついた。
「ありがとうアニキ。本当に、ありがとう」
呟いて目を閉じた。
自分でどうしようもないのに、他の人にそうしてくれなんて言うもんじゃないな……。
「本当に、ごめんなさい、月鵬さん」
頭を下げると、月鵬さんは笑って手を振った。
胴を糸で掴まれた男は、ゆっくりと落下し、地面に着く直前で糸を月鵬さんが切った。
「よかった」
胸をなでおろすと、背中から毛利さんの悪態が聞こえた。
「貴様は本当に馬鹿だな」
(たしかにバカな行動だったかも知れないけど、そんなにストレートに言うことないじゃない)
ムッとして一言文句を言ってやろうと振り返る。でも、言葉は出なかった。
毛利さんの表情が驚くほどに柔らかくて、言葉に詰まってしまった。
(あの無表情の能面に表情があるなんて)
不思議に思いつつ、同時にすごく戸惑ってしまった。
「我々は、倭和国の正式な許可を得てあの場に滞在しておりました。あなた方がこのような事をしていいわけがありません。正式に抗議いたしますよ」
風間さんが毅然とした態度で声を張る。
「あの地は、誰であれ進入してはいけない」
一人になってしまった民族衣装の男は、それでも恐怖の色を見せなかった。
当然のことなのだ、とばかりに真っ直ぐに私達を見据える。
「どうして? ただの屋敷でしょ! 入って欲しくなかったら口で立ち退き命令すれば良いじゃないですか。武力行使なんてしなくたって!」
殺されたのに! どっちの側の人も殺されたのに!
彼は真っ直ぐに私を見据えて、不意に優しい瞳に変わった。
「心優しいお嬢さん。仲間を助けてくれてありがとう。でも、我々は命を惜しんだりはしない」
顔がぎゅっと引き締まり、険しい瞳に変わった。
「――魔王を殺さなければ」
(魔王、殺、す?)
目の前が真っ白になる。それはつまり、私を殺すってこと?
「これまで二度、荒神の目覚めの兆しがあった。お前達は魔王復活の儀をしたな? そして魔王は間違いなく、この世に戻った。だから、器を殺して魔王を封印しなければならない。――さあ、魔王の器は誰だ!?」
彼は叫んで、冷酷に睨んだ。心臓が跳びはね、同時に微かな安堵が過ぎる。
あの人はまだ、私がそうだって知らないんだ。
「言わないのなら、全員ここで死ぬ事になるぞ!」
彼がそう叫んだ途端、下の森から猛スピードで数匹のドラゴンが踊り出て、彼を取り囲むように巨体をうねらせた。
ラングルじゃない。白夜竜(コアトル)でも、ゴンゴドーラでもない。三匹いるドラゴンは、いずれも種類が違うようだった。さっきいた彼らの五匹のドラゴンとも違うみたい。
一匹はドラゴンというより龍だ。
六メートル以上は確実にある巨体を蛇のようにうねらせ、彼を守るように自らの中心に置いた。
もう一匹は翼竜で、巨体。全長十メートルは余裕である。ガウ、ガウ、と唸るたびに、炎が口の中から出たり入ったりしている。
その隣にいるもう一匹も翼竜で、他の二体と比べると小柄だけど、鋭い牙と爪を持っていて獰猛そうだった。
「固有種だね。見たことないや」
クロちゃんがそう独り言を呟いて、緊張感のある面持ちでドラゴンを見据えた。
(あの自信家なクロちゃんが警戒してるってことは、危険なの?)
そういえば、この世界でドラゴンは武器の役割でもあるんだっけ。未知のドラゴンはそれだけで恐怖で、大きな武器なんだ。知らないってだけで爛は怠輪軍の武器に蹂躙されたんだから。
あの人が自信満々に出してきたってことは、相当強いドラゴンなんだ。
突然、身体が右方向に大きく揺れた。
「キャア!」
悲鳴を上げた瞬間、さっきまでいたところに火柱が抜けていく。熱が頬を掠めた。熱いと感じる前に全身が総毛立つ。
慌てて下を向く。地上から巨大なアルマジロのようなドラゴンが炎を吹き終えて、首をブルリと振っていた。
(なにあのドラゴン?)
「屋敷がない」
雪村くんの驚きに満ちた声が聞こえた。
(雪村くんとは離れて飛んでるのにどうして聞こえるんだろう。そういえば、さっきクロちゃんの声も聞こえたっけ)
暢気に思いながら、私は視線を屋敷に向ける。だけど、見えるはずの屋敷が見当たらない。屋敷と呼べるものはそこにはなかった。
打ち壊された残骸だけが散らばっている。
屋敷があった場所には、襲撃犯と屋敷を壊したと思われるドラゴンが我が物顔で闊歩していた。
「なんてこと」
この世界で唯一帰れる場所だったのに。
「やはり呪陣がひいてあったか」
絶望に満ちた呟きは、背後からの確信じみた声音に潰された。怪訝に毛利さんを振り返る。本当にこの人が言ったんだろうか? っていうくらい無表情で、何も読み取れない。
(呪陣って何?)
私は目を凝らした。
「あっ――なんとなく線が見える」
屋敷の残骸のせいで見辛いけど、屋敷がなくなったからこそ、それは見えた。敷地内全体を使って、陣が描かれている。
庭の部分は、木や草で隠れて見えないところが殆どだけど、屋敷の跡にはくっきりと魔法陣のような、紋様のようなものが浮かび上がっていた。
これは、屋敷が出来る前に描かれたものだ。じゃなきゃ、屋敷の下に描けるわけがない。
〝呪火(ジュカ)〟
不意に、頭に渋い声が響く。辺りを見回したけど、距離が離れて飛んでいるので魔王が誰の言葉を訳したのかはわからない。
「ギャアアア!」
尋常じゃない叫び声に、慌てて下を覗き見る。
「え?」
思わず絶句した。
巨大な火柱が上がっていた。その火柱はゆうに十メートルは越えている。庭も、門も、屋敷内の全てが大きな火柱に包まれていた。
悲鳴は、瞬間的に上がって消えた。
多分、あそこにいる全ての生き物は、生きてない。
「……どうして?」
あまりのことに、瞳から涙が溢れた。
「こんなのって、ひどい……」
一人残された男は、言葉を失っていたようだった。
ただ、上がる炎の火柱を食い入るように見つめている。
火柱は数分上がって、跡形もなく消え去った。
黒焦げの、焼け野原だけを残して。
「……」
しばらく絶句していた男が、口を開いた。
「使命を、使命を全うしなければ」
自分に言い聞かせるように、言って、彼はまるで何かに摂り憑かれたような、虚ろな瞳を向けた。
それに呼応するように、三体のドラゴンがゆっくりと私達に向き直った。
ドラゴンが空を押し出して加速した――そのとき。
『ウォオオ!』
突如地鳴りのような、空気を震わす大きな音が響き亘った。
まるで、何かの絶叫のよう。思わず耳を塞ぐ。ビリビリとした振動が鼓膜を震わせて、頭に鈍い痛みを起こさせた。
ドラゴンでさえも苦痛の表情を浮かべていた。
「まずい。目覚めかけている!」
男がそう呟いて、ドラゴンを操り軌道修正する。踵を返し、猛スピードで私達から離れる。
「鎮めなければ!」
なんでだろう。彼とドラゴンはもう豆粒くらい小さくなってるのに、轟音がうるさいのに、私の耳は彼の声を拾う。魔王の力なの? それ以外考えられない。
「え?」
突然、ぐらりと、目の前が揺らいだ。ラングルが、気を失いそうになって体が傾いたからだ。
(このままじゃ、一緒に落ちる!)
咄嗟に自分の耳から手を離し、ラングルの耳に手を覆った。
ラングルはなんとか、気を持ち直し、羽ばたき始めた。だけど、羽ばたき始めたのは私達のラングルだけで、他の騎乗翼竜達は気を失い、騎手を乗せたまま落下し始めた。
「このままじゃ、みんなが! ――ああっ!」
突然耳に激痛が走った。
耳の奥が熱い。出血してる?
急いで片方の手で耳を塞ぎ、もう片方は肩で耳を潰した。でも、もう遅かった。割れるような頭痛と共に、視界は白く滲んだ。
(身体に力が入らない――落ちる)
ぐらりと身体が傾き、半身が宙へ押し出された。途端に、腕に痛みが走って意識が一瞬戻る。
私はなぜか騎乗していた。
背中が冷たい……さっきまであった、温くもりがない。
覚醒した意識は、またすぐに白く染まり始める。
そのとき、彼の姿を捉えた。
「――毛利さん」
私は気づいた。
毛利さんが、落ちる私の腕を掴んで、そして自分が変わりに落ちたことに。
みんな、落ちていく……。
落下していく彼らを見つめながら、私は喚いた。
「いや、いやだ。このままじゃ、みんな死んじゃう――いやだ。この音止って!」
――止って、止って――。
「止りなさいよ!」
全身全霊の絶叫を最後に、意識は白に溶けた。
― ― ― ―
――竜王書より――。
北丁(ほくちょう)六百二十五年。
魔王降臨の兆しあり。
倭和国、十青地方にて、大地の咆哮響き、幾多の生命へ被害をもたらす。
そこに突如白い光が十青(じゅうせい)を包み、光は隣地、白衛(はくえい)にまで及ぶ。
十の発光体、双方に飛散を確認す。
慶弔(けいちょう)である。
第一部・完