私の中におっさん(魔王)がいる。
 アニキは控えめに笑んだ。

「はい。ぜひ!」

 退屈してたし、ラッキー!

「よし、行こうぜ!」
「はい!」

 縁側に連れ立って歩くと、アニキが袖から水色の呪符を取り出した。

「離れるなよ」

 首だけで振り返って、向き直る。その瞬間、ぐらりと景色が歪んだ。
 まるで渦を巻くように見ていた景色が消え、瞬きの間に別の景色がそこに広がってる。明らかに違う部屋の数、薄暗く長い廊下。西の区画だ。

 転移はいつまで経っても何回やっても慣れる気がしない。特に、めまいのような感覚はすごく苦手。
 はじめは気のせいだと思ったし、目を瞑ってると一瞬違和感があるだけなんだけど、目を開けていると、景色が回るのがはっきりとわかる。

「花野井さんは、さっきの嫌じゃないですか?」
「さっきの?」
「ほら、空間がぐらって歪んで、渦巻くみたいに消えて現われるっていう――」

 めまいみたいな、と言いかけて止めた。
 アニキが怪訝そうに眉根を寄せていたからだ。

「……あれ?」

 思わず笑みが引きつる。なにか、まずいことでも言った?

「俺はまったくわからんかった。三条や風間ならその感覚はわかるかも知れねえけどな。魔王の影響だろ」

 魔王の影響――。
 アニキの何気ない一言が、妙に心に刺さる。
 突然、渋い声が聞こえてきたり、妙な感覚が自分にだけあったり、考えないようにしたいのに、魔王はそれを許さないみたい。
 自分の中に得体の知れないものがあるのは、気色が悪くて、怖くて、不安だった。

(早く家に帰りたい)

 泣きたくなって、顔を伏せる。突然、温かいものが髪の毛を包んだ。仰ぎ見ると、アニキが私の頭に手を置いていた。目が合うと、赤い瞳が細められる。
 柔らかく笑まれた目尻に、薄っすらとシワが寄る。
 まるで、大丈夫だよ、と言われているみたいだった。

 思わず唇を噛み締めた。
 そうしなければ、みっともなくすがりついて泣き出してしまいそうだった。
(アニキは優しいな……)

「……ありがとう、ございます」

 呟くと、アニキは頭から手を離した。

「行くぞ」

 明るく言って歩き出す。

「はい!」

 私もわざと明るく声を上げ、アニキについて歩き出した。

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