にゃん子と寺子屋日記
人間という車に乗って、人生を乗りこなす秘訣(13)
今日は9月23日で、お彼岸の中日。だれもお参りに来ないので、さっき自分で仏壇に参った。うちは浄土真宗なので、なむあみだ。

なむあみだというのがもともとはインドのサンスクリット語で、ナムはお任せします、仏に帰依しますという意味、アミーダは計り知れない大きな世界という意味だということを知ったのは、
「歎異抄に聞く会」に行くようになってから。
自分が今日あるのは、この会のおかげだとよく思う。
もし、仏教に出会ってなかったら・・と思うと、こんなに落ち着いた暮らしができただろうか、
絶対に死ぬまで右往左往して、分けもわからず・・こんなはずじゃなかったと言って
死んでいくだろうなと。

仏の教えを受けると、ものごとを裏からも見ることができるようになる。
たとえば、猫の足・・いきなりいかれてしまって、動けなくなってしまった。

動物病院で18000円払って、「すみません、原因がわりません」と言われた。そうか、原因がわからないということは、また治るかもしれないということでもあると思い返して、とにかく家に連れて帰った。

ほんとに動けなかったけど、まあ疲れているんだろうと・・気の済むまでゆっくりしたらいいと思って、自由にさせておいたら、1ヶ月持つだろうかという感じだったのが、だんだん元気になって、今は、えさを食べる時だけだが、ほんの何十秒か立てるようになった。

18000円も払ってわからないとか、有り得ないと聞いた人はみな憮然としていたけど、
原因がわからないということは、裏から見れば、また治るかもしれないということ、というふうに自分は受け止めて、ねことの暮らしを愉しもうと考えた。

実際愉しんでいる毎日に違いはない。
ねこには随分教えられるし、煩悩や雑念がない様子にうらやましいと思うこともある。

ほんとに、人間ほど乗りにくい車はないと思う。
周りはいつも自分という人間をもてあましている人ばかり。
なので、何かに依存してしまう。
パチンコ、スマホ、ゲーム、テレビ・・・買い物依存、食欲依存もある。

先生が言っていたが、「人間はほっておくと、とんでもないところに行ってしまうんですよ」
「だから、シイナ・・戒律がいるんです・・していいことと、悪いことを習慣として、体に匂いづけるんです」
人間という車に乗って、人生を乗りこなす秘訣・・というか智慧が仏教なのだと思う。






< 13 / 41 >

この作品をシェア

pagetop