私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~

 * * *

「ウォオオ!」
 天空からアジダハーカの雄叫びが上がり、誰かが叩きつけられるようにして落下してきた。
 半壊している建物に激突して、床を突き抜けた。
「痛てぇ!」

 小さく叫んで起き上がったのは、花野井だ。
 花野井の下には、平たい円形の透明な物体があった。コウのバリアだ。
 コウが花野井の受ける衝撃を和らげたのだろう。
 花野井は、大した怪我はしていないようだった。

 ペッ! と血が混じった唾を吐き出し、花野井は立ち上がって上空を睨みつける。
 そこにはアジダハーカが滞空していた。

 アジダハーカの背には、三条雪村が呪符と魔王を手に立っている。
 アジダハーカに変わった様子はないが、雪村には若干の疲労が見られた。

「ウラアア!」
 そこに雄叫びが上がり、脚に爆発を伴って原が姿を現した。
「!」

 雪村に向って振り下ろされそうになった蹴りは、雪村に届く前に、爆発炎上した。
 空間に遮られたように燃えた炎が、雪村がはった結界に遮られた事を示していた。
 原が舌打ちをする前に、剣戟が走った。

 原が蹴り降ろした場所、ピンポイントに走った毛利の剣戟は、結界に僅かに穴を開けた。
 その隙間からぬるりと侵入してきた黒い砂を雪村は振り払った。しかし、その砂は雪村の腕に絡みつき這い上がる。

(砂鉄か!)

 雪村は心の中で叫んで、苦々しく舌打ちをした。
 呪符を胸ポケットから取り出し、砂鉄が体内に侵入、あるいは鋭利な刃物の形を成して突き刺さる前に、風を作り出し砂鉄を吹き飛ばした。が、吹き飛ばすその一瞬、結界を解かざるをえず、その一瞬の隙を突いて月鵬が金糸の糸を飛ばして雪村の首に絡み付けた。
 驚く間もなく、雪村の視界に赤い影が映る。
 丸い形状の小さな物体は、雪村の眼球の前で動きを止めた。

「バイバ~イ!」
 黒田の低声が聞こえた瞬間、丸い物体は鋭く伸びた。
 誰もが雪村の死を予期した、その瞬間。
「危ねえ!」

 鬼気迫る声が轟き、アジダハーカが身を翻した。
 そのまま、尾を使って毛利と原を薙ぎ祓い、三つ首が黒田と月鵬を襲った。
 黒田と月鵬は冷静に騎乗翼竜を操ったが、一つの頭がぐんと首を伸ばし、白矢の足に噛み付いた。
「ギャアア!」

 白矢は悲鳴を上げてよろめく。
 片足を失った白矢は、そのまま下降し始めた。
 アジダハーカが身を翻した事で、寸でのところで雪村は黒田の攻撃を避けた。
 頬から血飛沫が上がったが、黒田が手を翳す前に、雪村は新たに結界を張った。

「チッ!」
 黒田が密かに舌打ちをした瞬間、下方向から影が躍り出た。
 物凄いスピードで突き上げるようにして上って来たのは、花野井だ。
 花野井は、そのまま剣を前に突き出し、アジダハーカを突き殺そうとした。
「あれは、ヤバイな」

 雪村は切迫した声を上げ、アジダハーカの上体を反らせた。
 上体を起こしたアジダハーカの胸をかするように花野井が突き抜けていった。
 傷を一切負っていなかったアジダハーカの鱗がはがれ落ち、肉が抉れた。

「ウォオ!」
 低い叫びを上げながら、アジダハーカの三つ首が駆け上がっている花野井を捉えた。
「ヴァ!」

 左端の首の口から氷の槍が発射され、花野井を追う。
 花野井は、空中で体を捻り、それを剣でなぎ払った。

 そのまま氷はアジダハーカに向ったが、アジダハーカはこれを避け、氷の槍は地面に深々と突き刺さった。
 雪村は、アジダハーカを包むように結界を広げた。
 発射口である口付近だけを開ける。
 黒田は苦虫を噛み潰したような表情で、雪村を睨み付けた。

「ラチがあかないわ!」
 焦燥から、イラついて吐き出した月鵬は、白矢の足を一瞥した。
「これじゃ、白矢は無理ね……」
 
 そう呟いて辺りを見まわす。
 全壊した建物の脇に、ラングルが脅えた様子でいた。月鵬はそこまで駆けて行き、ラングルの手綱をとった。
 傍には、飼い主だろうか。兵士が倒れていた。
 そこにコウを連れた毛利と原が現れた。
 コウは、疲れきった様子で、鼻血を出しながらぐったりとしていた。

「彼女、どうしたんです?」
「能力の使いすぎです。空から落ちてくる仲間を随分受け止めていましたから……。俺達二人を受け止めたところで、力尽きたんですね」
 原が心配そうに言って、コウを窺い見た。
「コウ。お前はもう休んでいろ」
「……いえ! 大丈夫です」

 毛利に追いすがるように立ち上がろうとした時、コウはめまいに襲われ、後頭部から倒れ込みそうになった。
 その背を原が支えて、諭すように叱咤した。

「お前が今踏ん張ろうとしても、迷惑なんだよ。二次被害を出したいのか? 冷静になれ。冷静になる事はお前の得意分野だろ?」
「……分かったわよ」
 コウは反省したように答えて、付け加えた。
「頭冷やすわ。でも、少しでも回復したら参戦するからね!」
「おう!」

 原は勢い良く返事を返し、騎乗翼竜に乗りに戻った。
 毛利は耳鳴りのような甲高い音を僅かに響かせながら浮かび上がった。それに続いて、月鵬も飛び立つ。
 その時だ。
 雪村は、新しい呪符をポケットから取り出した。

「アジダハーカ。もう、終わらせようか」
 雪村の声に呼応するように、アジダハーカは吠えた。
 三つの首から、黒々とした紫色の塊が現れた。
 それは、一つに重なり、眼下の毛利達に照準を合わせた。
 アジダハーカから距離を取って飛んでいた黒田は、それがなんの攻撃なのか、いち早く気づいた。

「重力砲――ヤバイじゃん! おい、避けろ!」
「穿(ゲキ)」

 叫んだのと同時に、黒田の頬を何かが叩いた。
 脳が揺すられるほどの衝撃が走る。なにが起きたのか分からない。
 混乱する黒田の目が捉えたのは、雪村の持つ呪符が、鞭のように撓った瞬間だった。
「ギャ!」
 鞭のような呪符が、一撃ずつ黒田の腹と頭に打ち込まれ、黒田はシンディから落竜した。

「クソ!」
 黒田は咄嗟にシンディの手綱を掴み、シンディにぶら下がった。
 バランスを失ったシンディが羽ばたきでバランスを取り直そうとする刹那、今度はシンディに鞭が放たれ、シンディの羽をへし折った。

 悲鳴を上げながら、シンディはバランスを崩し、落下する。
 地面ギリギリでなんとか翼を羽ばたかせ、シンディは落下する速度を弱め、黒田を地面に降ろした。
 それでも乱暴な落ち方になり、黒田は背中を強く打ったが、すぐに立ち上がり、地面に伏したシンディに駆け寄った。

「シンディ! 無事か!?」
 心配そうに声をかけた瞬間。
 上空から重力砲が発射された。
「ヤバ!」

 町を半分覆うほどの重力の塊が猛スピードで迫り来る。
 黒田はシンディを庇って抱きつき、月鵬は絶望から重力砲に見入った。
 毛利はコウと原を連れてその場を脱しようとしたが、到底間に合わない。
 重力砲に押しつぶされそうになった、その瞬間。
 ズシン――とした、鈍く、重い音が響き、伏せる人々の中で、一人だけ立っている者がいた。

「花野井……!」
「おっさん……」
「カシラ!」
 目を見張る人々の中で、花野井は重力砲を剣で受け止めていた。
「ぐっぐ! ああ!」

 苦痛の声を漏らしながら、花野井は堪える。
 地面が歪な音を上げ、崩れ出した。

「無茶だろ! おっさん!」
「ぐっ! うおおああ!」

 雄叫びを上げながら、花野井は重力砲を押し返した。
 脚からは血飛沫が上がり、骨が皮膚をつき抜けている。

「うらあああ!」
 絶叫と共に、重力砲は上空に向って打ち返された。
「嘘だろ!」
 絶句した雪村の呟きが終わらないうちに、重力砲は雪村と共にアジダハーカを襲った。

「ウォオオ!」
「くそっ!」

 アジダハーカはその巨体を地面に引き戻された。
 雪村は、落下しながら術を解除させた。
 重力砲は弾けるように消え、同時に包んでいた結界もかき消えた。

「頼んだぞ、毛利」

 満身創痍の花野井の呟きは、毛利の心に届いていた。
 ほっとした様子を見せた、その刹那。雪村の視界は影を捉えた。
「え?」

 だが、その瞬間にはもう右腕が失われていた。
 二の腕から先が吹き飛んでいったのを瞳が捉える。
 そして、雪村が最後に目に映したのは、毛利の金色に光る瞳だった。
 切り離された首は西の空へ高く飛んだ。


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