何の取り柄もない田舎の村娘に、その国の神と呼ばれる男は1秒で恋に落ちる【前編】
「いい、勝負?本人なのに?」
「え…?」
「彼女が何も知らないからって、からかいすぎない方がいいんじゃない?」

その聞き覚えのない声に、京司がゆっくり振り返った。
天音の帰ったそこには、一人の見知らぬ人物が立っていた。
灰色のローブをまとい、フードを深くかぶり、顔は半分しか見えない、いかにも怪しい。その声から判断するに女に違いない。
常識のある京司には、その女が女官ではない事は明らか。そして、恐らく妃候補でもないはずだ。

(この女は侵入者か?)

様々な憶測が京司の頭を駆け巡った。

「何者だ?」
「怪しいものではないわよ。私はちゃんと許可をもらってこの城に出入りしているのよ。天師教様。」

口元に弧を描き、その女が彼を確かに呼んだ。
そう、それは京司が一番嫌いな呼び名。

「俺の顔を知ってるなんて、十分怪しいけど。」

京司は冷静な声で、そして、わざと彼女を挑発するような言葉を吐いた。

「クス。せっかく月の印教えてあげたのに。でも何も知らないのは、あなたも同じね。」
「は?」

女は独り言のようにぶつぶつと何かを言い捨てた。
そう、彼女は、先程天音に月の印の事を教えた、あの女。
しかし、京司にはその言葉の意味はわからない。

「不満は一体何なのか…。外には、あなたの知らない世界がたくさんあるのよ。」
「お前…。」
「クスクス。まだまだね新しい天使教様は。」

その女は、まるで全て見透かしているかのように、妖艶に笑った。
その鼻につく笑いを見て、京司は眉をひそめた。

「鯉の方が、 人間よりよっぽど幸せね。」
「オイ!待て。」

京司の声を振り切り、急に彼女は走り去ってしまった。
城の奥のほうへと…。

「なんなんだ…。」

京司は唖然とした表情で、その場に立ち尽くしていた。大声を出して兵士を呼ぶ事もできたが、それはしたくなった。
ここに不審者が居た何て事になれば、この中庭はすぐに立ち入り禁止にされかねない。それでは困る。

それに、あの女は確かに怪しいが、城にいる人に危害を与えるような感じはしなかった。自分に危害を加えるのであれば、きっとあそこでそうしていたはず。あの女は何者なのか…?

そんなモヤモヤした感情のまま、京司は池を後にするしかなかった。

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