私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~

 * * *


 私が通されたのは、死刑台ではなく、広い部屋だった。
 豪華な内装が施された部屋で、大きな窓からは日の光が柔らかく射し込んでいた。それが、今は朝なのだと私に教えてくれた。少なくとも、午前中ではあるだろう。

「座っていろ」
 そう告げて、兵士は部屋を出て行った。
 私は言われたとおりに椅子に腰掛ける。
 この椅子も眼の前のテーブルも、随分と豪華だ。ふと目線を右に振ると、寝台が見えた奥まった場所に埋め込むように造られた豪華な装飾と柱のある寝台。かけ布団が起きた時のままみたいにぐちゃぐちゃだ。

「ここ、応接室じゃなくて、誰かの部屋なんだ」

 よく見ると、部屋の奥には、大きな机があり、その上は巻物だらけで、そこと寝台だけが生活観に溢れている。
 綺麗で豪華な部屋に、似つかわしくない。

「誰の部屋なんだろ?」

 独り言を呟いた瞬間、部屋の扉が静かに開いた。一瞬ぎくりとし、私は扉に釘付けになる。入室してきたのは、全ての元凶――青嵐ならぬ、葎さんだった。

「やあ。すまない。ちょっと厠に行っていてね」
 葎さんは悪びれたようすもなく、にこやかに私の前にやってきて隣に腰掛けた。
(なんか、腹立つ! 謝罪が牢屋に入れたことじゃなくて、トイレに行ってたことなわけ?)

「すまないじゃないですよ! あなたのせいで、私がどんな目に遭ったと思ってるんですか!? すごく怖かったんですから!」

 怒鳴りつけると、葎さんは目を丸くして深々と頭を下げた。

「いや、すまない。志翔がこんな事をするとは思わなくてね。僕は今戻ったばかりなのだが、花野井達が、昨夜から志翔に訴えていたらしいんだが、志翔が僕の口から、キミとの関係を聞くまでは出さないと言い張っていたらしいんだ」

(アニキ達が……)
 心に、ほっとしたような明かりが燈った。
 例えそれが、魔王や、壁王や、皇王子のためだったとしても、アニキ達がきてくれた事が嬉しかった。
 来てくれなかったら、私は今も、あの暗くて冷たい地下牢から出れていないかも知れない。
 でも、ほっとしたらまた怒りが湧いてきた。

「あの志翔さんって、なんなんですか? 私があなたとなんでもないって説明しても牢屋から出してくれないし、そもそも、あなた、青嵐さんじゃないじゃないですか!」

 怒り任せに詰め寄ると、葎さんは苦笑した。

「いや、僕は本当に青嵐だよ」
「嘘つかないで下さい! あなた葎って言うんでしょ!」

 睨みながら指を指すと、葎さんは立ち上がった。
 そして、部屋の奥へ進み、机の上の巻物を適当に取ると、戻ってきてテーブルに広げた。

「これは、『竜について~その生態と人間との暮らし~』という書物なのだが、これは僕が書いた物だ」
「え?」
「青嵐はペンネームだよ。あと、研究所にいるときにも青嵐で通してるんだ」
「どうして?」
 私が怪訝に訊ねると、葎さんは椅子に座って苦笑した。
「葎王子じゃ、支障が出るからね」
「葎、王子?――王子!?」

 驚いて目を見開くと、律さん、いや、葎王子は、「ハハハッ、やっぱり気づいてなかったんだね」と、さわやかに笑んだ。
 そりゃ、気づかないでしょ。王子が使用人みたいなかっこうで、泥棒みたいにこそこそして、あんな場所にいるとは思わないもん。

「もしかして、キミはこの国の人じゃないのかな?」
「え? あ、ええ。そうです」

 この国のっていうか、この世界の、だけど。
 私が苦笑しながら答えると、葎王子は納得したように頷いた。

「そうだろうね。この国の者だったら、僕や弟の顔は知っているはずだからね」
「そういうものなんですか?」
「うん。国民は知らないだろうけど、貴族や武官、文官の血縁者や従者なら知っているはずだからね。キミは、苗字があるから、庶民ではないのだろう?」

(ああ、そうだった。そういうことになってたんだっけ)
 私は思わず苦笑した。笑って誤魔化していると、王子は深々と頭を下げた。

「志翔のこと、許してやって欲しい」
 真剣な声音で言って、顔を上げる。
「彼女はね、僕の乳母なんだが、僕と弟の母が体が弱く、弟を産んですぐに亡くなったんだ。それから、母代わりとして、僕らを育ててくれたんだ。でも、僕がこんなになってしまって、彼女は苦心しているんだよ」
「……分かってるなら、少しは……」

 言いよどんでいると、王子は、「いや、もっともなんだけどね」と、曖昧に笑う。
「僕はね、王座に就く気はこれっぽっちもないんだよ。ドラゴンの研究をしていたいんだ。だから本当は、王家の名も捨てたい」
 真剣な眼差しで告げて、王子は続けた。

「確かに、僕一人しか跡取りがいないのならば、僕はこの夢を諦めるべきだと思う。それが国民と、この国のためだ。でも、幸いな事に、僕には二人も弟がいる。一人は少し短慮で声がでかいが、熱い心を持っている。もう一人は才知溢れる有能な弟だ。きっと仁君になると思う。この二人のどちらかが王座に座る方が、僕などが王座に居座るより、よっぽど国民のためになるはずだ」

 葎王子は確信を持ったように、明朗に告げた。そして、今度は少し声を落とした。

「志翔が、キミを牢に入れたのは、僕の妻に配慮しての事だと思う」
「奥さん?」
「うん。僕の妻は、爛から嫁いできた正妃でね。僕は側室はいないから、僕の妻は彼女一人だけなんだけど、僕は王家の名を捨てたい一身で、彼女に今まで触れた事がないんだ。それを、彼女も志翔も気にしていてね。多分キミを見て、外に女がいるんではと疑ったんだと思う。本当に、キミにはすまない事をした」

 言って、彼はもう一度深々と頭を下げた。
「いえ、もう、良いですよ」
 そんなに頭を下げられたら、許さざるを得ない。
 私がわざと明るく言うと、王子は顔を上げて、ほっとしたように笑んだ。
 そこへ、
「戻られましたか! 兄上!」
 突如、雷鳴のような声が轟いて、その人物は姿を現した。

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