銀の姫はその双肩に運命をのせて
 東の棟の守衛兵たちは、ディアナとキールの姿を見て、一様にぎょっとしていた。昨夜、ディアナが厩舎預かりの身の上になったことはすでに、城の誰もが知っている。それなのに、キールとつながれてたった一晩で戻ってきた。

 けれど、王子であるキールを咎められる者はひとりもいない。普段から勝手な行動が多い第三王子、また例のわがままか、という白い眼を送ってくる兵もいた。

「キール、待って」
「なあに?」
「王太子妃さまのことを聞かせてほしいの。どういうお方なの? 王太子付きの侍女だったってことは耳にしたけど」

 キールは笑顔で歩く速度を緩めた。

「ふうん、まだ知らないんだ。教えてあげればいいのに、グリフィンが。あの人はね、シェイラという名前で、もともとグリフィンの母親の侍女だったんだよ」
「まあ、グリフィンの?」

 声が大きかったか。ディアナは空いているほうの手で自分の口を覆った。

「うん。だいじょうぶ、この城にいる人はみんな分かっているし。グリフィンの母親は、王の傍妾。他国を侵略したとき、王の寵愛を受けた。人質というか、まあ戦利品だった。彼女が亡くなったとき、主人をなくしたシェイラは王太子に拾われて仕えるようになった。グリフィンは、コンフォルダ宮殿のすべてを解体した。使用人は全員解雇。町暮らしをするか、ルフォン城で再雇用のどちらかを選ばせたらしい。帰る国はないからね。シェイラは、宮殿からルフォン城に移ることを希望したそうだ」

「では、城に移ったのちに、王太子さまのご寵愛を?」
「と、思うよねえ、普通は。ところが、シェイラは城と宮殿との連絡係として、よく城にも町にも出入りしていた。王太子が見初めたのは、ずいぶん前のこと。グリフィンの母親が亡くなる前だって。王太子と傍妾の侍女だから、すぐには公にはできなかったけど、コンフォルダ解体後はあからさまだったなあ。外交上では、きみとの婚礼が進んでいたのに、ロベルト兄さまも堂々とシェイラをかわいがっていた。婚礼すると見せかけた挙句、ディアナを我が国に足止めし、断りもなく婚礼相手の挿げ替えまでやってのけようとしている。きみだって頭にきたでしょ? 王太子との正式な結婚だと聞かされて、国境を越えてきたのにさ、王太子には神に誓った正妃がいた」
「ええ。はじめだけは、確かに」

 けれど、その怒りはいつの間にか収まっていた。グリフィンとキールに出逢えたことが大きい。

「きみが来る前に、シェイラには子どももできたんだよ。流れちゃったけど。そんな経緯で、王太子はシェイラを正式に妃として神殿に報告した」

 キールの話が事実ならば、姫自身は利用されただけになる。

「では、この国では、銀の国との国交がほしいために、偽りの縁談で私を受け入れたのですか」
「率直に言うと、そういうことになるね。我が国の周辺には、銀の国よりも脅威に感じる存在が、いくつもある」
「……王太子妃さまは、とてもすてきなお方です。同性の私から見ても、うっとりしますもの。ところで、キールと王太子妃さまの……親密な理由がまだ出てきていませんが」
「姉と義弟でしょ」

「嘘。あんなに深い仲の姉弟なんて、他にいませんよ。なにか共謀しているのでしょう?」
「先読み過ぎ。契約だよ、ただの契約。わたしの体を治療するための。まさか、不倫でも期待した?」

「でも、あんなに長くて深い治療って」
「妬けちゃう? なら、してやったりだね」
「そんなつもりでは」

「どうせなら治療なんて、苦い薬より気持ちいいほうがいいよね。ああして、シェイラは免疫をたくさんたくさん、わたしにくれるんだよ。異国から来たシェイラが持っている免疫をね。わたしはディアナにも期待しているんだけど」

 そう告げながら、キールは王太子の私室の前に立った。会話は時間切れ。
『サル、サル』と平気で軽口を放つが、キールがロベルト王太子を敬っているのは、よく分かる。王太子を裏切ってまで、その妃と危険を冒して遊ぶわけはないはずだ。

 ここでもキールは守衛兵に極上の笑顔で牽制し、関門を通過した。

「失礼します。シェイラ、いる?」

 さすがにディアナは躊躇したが、逃げられないように手錠が枷になっている。引っ張られて、そのままともに室内へ。

「うっ」

 あやしげな祈祷を行っていると、キールが教えてくれたばかり。もうもうと立ちこめる煙に、ディアナは閉口した。焚いているお香が、甘過ぎて、だるい。重い。

「これじゃ、助かるものも助からないよ」

 断りも得ずに、キールは部屋の窓を全開にした。勢いよく吹き抜けた清々しい風が、一瞬にして甘ったるくてくどい空気を消し飛ばしてくれた。

「キール、どうして勝手をするの」

 当然、シェイラがキールの行動を咎める。

「しかも、異国の姫まで連れて。諸悪の根源は、この娘なのよ。王太子さまに、これ以上のことがあったらどうするの! 銀の姫を、早く外に出して」
「シェイラ、あやしげな療法を試したって、だめだよ。鉱毒には鉱毒を制する薬を。聡明なシェイラがそんなことも分からないなんて」
「愛さえあれば。私が治すわ、必ず」

 キールは懐から、姫の守り刀を取り出した。

「王妃から預かった。姫の持ってきた薬が、ここにある。全成分は分析できなかったが、銀の国では山へ行く鉱夫に持たせるものらしい。猶予はない。飲ませよう」
「いやよ、そんなあやしげなもの。毒かもしれないじゃない」

「毒には毒をもって制する、とも言う。兄さまの体で賭けをするのは不本意だけれども、なにか手を打たないと。祈祷じゃ助からない」
「私からもお願いします、王太子妃さま」

 一歩前に進んだディアナは深く頭を下げた。

「恐れながら、私どもからもお願いいたします。このままでは、キールさまのおっしゃる通り、王太子さまの体力が持ちませぬ。現状では、治療もできず放置しているも同然。王太子さまをお助けなさるには、銀の姫君さまのお薬をどうか」
「いやよ、いや、いやったら、いや! もし、その薬で助かったらどうするの? この姫に俄然注目が集まるじゃない。せっかく厩舎の隅に押し込めたのに、王太子妃にはやはりこの娘のほうがふさわしいとか、そんな流れになったら」

 シェイラは火がついたように怒った。怒鳴った。

「兄さまの、シェイラへの愛は変わらないよ。それに、ディアナはわたしと結婚するんだ」
「待って、キール。それはまだ」

 あわてて訂正しようとすると、キールが『ここはわたしに任せて』と、小声で制止された。

「この薬で兄さまが助かっても、シェイラの位置は不動だよ。万が一、助からなくてもシェイラに責任はない。こんなうつくしい刀に隠されているんだ、毒なんかじゃないよ」
「うつくしいものには毒がある。追いつめられたときの自決用、とも考えられますわ」

 シェイラは薬を認めない。キールの頬に、焦りが翳ってきた。たまらず、ディアナは前に出る。

「貸して。毒がないこと、ご覧にいれますから」

 銀の薬は万能薬だと聞いている。姫も、頭痛がするとき、おなかが痛いときなどにも飲んだことがあるし、切り傷には薬を潰して塗りつけたこともある。

 自分が手本を見せるしかない。

 キールの手に載っている守り刀を返してもらい、ディアナは皆の目の前で、薬をごくりと飲み込んだ。
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