悪の華は恋を廻る
 レイシス――有能な兄、死神バシルの片腕だ。兄の隣がふさわしい、美しく有能な魔女。最近、バシルと婚約したと聞いていたのだが……。
 それなのに、なぜ彼女が? ゾフィはバシルを通じてしか、レイシスを知らない。
 レイシスは、魔界の一般的な家柄の娘としてはとびぬけて優秀で、実力で今の地位にまで這いあがって来た魔女だ。バシルに心酔し、彼の手となり足となり働いてきた。
 バシルの目の届かない場所では、ゾフィに対する軽蔑を隠そうとしなかった。それでも、彼女が人間界で悪さをするとは考えられなかった。

(じゃあ、バシルお兄様も関わってる?)

 ふとそんな考えが浮かんだが、ゾフィは頭を振ってそれを打ち消した。
 今回の件に兄であるバシルが関わっているとは考えにくい。
 バシルがダミアンを捕らえたのなら、同じ日に家出したゾフィとの関係を疑うだろう。その場合、『ダミアンのご主人様』などと回りくどいやり方で挑発などしない。彼は、良くも悪くも直情的な兄なのだ。可愛がっているゾフィが関係している可能性が少しでもあるならば、どんな手を使っても自分で直接動いただろう。それ故に、レイシスのこの行動はとても奇妙なものだった。

「この件にバシルお兄様が関わっているとは思えないわ。じゃあ、なぜレイシスが単独で?」
「さぁ……なぜでしょう。なんにせよ、このやり方は美しくありませんね」
「あら。ダミアンが心配?」

 ゾフィの言葉に、冷たい目をしたジョルジュが鼻で笑った。

「まさか。あんな駄犬、どうなっても構いません。ですが、お嬢様の美しいおみ足に傷をつけるなど、言語道断。許せるはずがありません」

 それに……と、一転してジョルジュが神妙な顔つきになった。
 チラリと送った視線がゾフィの足に注がれる。足は既にスカートで隠されている。

「この術は、お嬢様に対しておこなわれたものではありません」
「どういうこと?」

 ゾフィを狙ったものでないのなら、この右足に受けたものはなんだというのだろう。右足を無意識にさするが、もう既に痛みも違和感もない。だが、無防備な状態で術を受けた嫌悪感はなくならない。

「レイシスは、ダミアンにかけられた術で、別の魔族の存在を知ったのです。ダミアンはアレでもまぁ、期待された魔族でしたから。そんなダミアンを使い魔にしたのが一体誰なのか、興味を持ってもおかしくはありません。ですが――」

 静かに跪き、ゾフィの右足にそっと手を添える。常に冷静で堂々としているジョルジュの手が、小さく震えていた。

「――ですが、使い魔の契約に、このような副作用があるとは……。禁術になるのも頷けます。レイシスは、使い魔の身体を通して主人にまで術が及ぶと、気づいたのでしょう」
「それで、『ダミアンのご主人様』ってわけね……。悪趣味なやり方ね」

 それにしても……ジョルジュがそのことを見抜けなかったとは意外だ。魔族は、高位であればあるほど長命だ。実を言うと、ゾフィはジョルジュの年齢を知らない。物心ついた時から、ジョルジュはこのままなのだ。当然、魔界についても詳しく、ゾフィの家庭教師も兼任していたほど博学なのだ。そのジョルジュが知らなかったとは。

「使い魔の契約が禁術になったのは、随分昔ですからね。レイシスが気づくことができたのは、術をかけた本人だからですよ。かけた術の何割かが他に流れていくことで、遠くにいる主人にも害を及ぼすと知ったのだと思います」

 なるほど。
 思わずゾフィは感心してしまった。
 ダミアンに術をかけた主人に、確実に接触するいい手だ。
 だけど――。

「気に入らないわ。ダミアンは捕らわれた上に、傷つけられているっていうことでしょう」
「油断した駄犬もどうかと思いますが」

 相変わらずジョルジュは、ゾフィ以外のことになると冷たい。
 先ほどまで、悔しそうに手を震わせていた人物と同一とは思えないほどだ。
 ジョルジュが言うことにも一理ある。ダミアンは、モリーに寄生した雑魚だけが相手だと思い込んでいたはずだ。事実、ゾフィたちにはそう報告していた。いくら巨大化していたとはいえ、雑魚は雑魚。そうダミアンは高を括っていたのだろう。まさか、その背後には別の魔族がいるとは思わずに……。本当に単純で、バカだと思う。でも、だからといって見捨てるわけにはいかない。

「呼び出されたのだから、応えなければね」
「お嬢様――」

 立ち上がるゾフィを止めようと手を差し出したジョルジュだが、ハッとしたようにその手を下ろした。

「契約の副作用がなければ、力づくでもお止めしたいのですが……。そうも参りませんね。では、私もご一緒に」
「ええ。ジョルジュ。行きましょう」

 元々、そりが合わないと思っていたが、兄が選んだ人だと言い聞かせていた。
 だが、その兄を裏切るようなこのやり方は気に入らない。兄の目を盗んでまで、どうして人間界で悪さをしているのか確認しなければならない。結果、自分の居場所が兄にバレてしまう可能性があることなど、この時のゾフィの頭にはなかった。

「ですが、魔術の残滓だけでは、居場所は特定できませんよ?」
「うまくできるかわからないけれど……やってみる価値はあると思うわ」

 そう言って立ち上がると、ゾフィはおもむろに手袋を外し、手のひらを広げたまま腕を伸ばした。
 上へ、横へ、下へ。
 すると、ふとある瞬間、ゾフィの掌がレイシスの魔力を捉えた。

「――見つけた」

 そのまま手のひらに集中する。すると、それはまるで空間に糸を張ったかのように、ピンと一直線に外に伸びた。
 ゾフィはその線の上をスーッと意識で辿る。
 丘をくだり、果樹園を越え、川の向こうへ。
 ほんの僅かなレイシスの魔力の残滓から、ゾフィはダミアンの居場所を探そうとしていた。
 それは細い、細い手掛かりだったが、ゾフィは確実にダミアンに近付いていた。
 線は隣の領地に入っていた。ここは、エルランジェ男爵の領地だ。
 屋敷を越えて更に奥へと続く。すると、深い森の奥、山肌に隠れるように建てられた小屋で、ダミアンの気配を掴んだ。

「……いたわ。まだ男爵家の近くよ」

 集中を解いて、ジョルジュに向き合うと、ジョルジュは熱っぽい目でゾフィを見つめていた。

「さすがでございます、お嬢様。私、惚れ直しました」
「やめて」
「私にもしものことがあっても、そのように探してくださいますか」

 ジョルジュにもしものこと、と言われても、ピンとこない。

「ジョルジュはそんなヘマしないでしょ。いつだって私のそばにいるじゃない」

 なにしろ、ジョルジュはなんでも完璧にこなす優秀な執事だ。おまけに思慮深く、決してダミアンのような油断はしないだろう。
 そういう意味で答えたのだが、当のジョルジュはそうは受け取らなかったようだ。

「私と離れるというお考えはないのですね。それは私もでございます。このジョルジュ、ずーーーっとお嬢様のおそばにおりますからね」

 ジョルジュは感極まったように、ぎゅっとゾフィの手を握った。

「いや、そうじゃなくて……」

 どうやら人間界に来るときに、ゾフィがジョルジュを置いて行こうとしたことを、ジョルジュ自身はすっかり忘れているようだった。


 右足がジクジクと痛む。
 上半身を術が施されたロープでグルグル巻きにされ、自らの魔力を封じられたダミアンは、苦痛に顔を歪めた。玉のような汗がいくつも頬を流れ落ち、ジュッと一瞬で消えた。右足の腿の広い範囲には、火文字が彫られ、まだ所々がチリチリと燃えている。

「さぁて。ご主人様に私のメッセージは届いたかしらね?」
「グッ……!」

 鋭く伸びた赤い爪が足に刻まれた火文字に突き立てられ、ダミアンはうめき声を上げた。

「あらあら。我慢強いお坊ちゃんだこと。困ったわねぇ。お前が主人の名を言わないから、こういうやり方になったのよ?」

 困った、と言いつつ、レイシスの顔には笑みが浮かんでいた。

「おまえのご主人様が来たら、どうしてやろうかしら? そうね。生け捕りにしてバシル様に突き出そうかしら。わたしになにかご褒美をくださるかもしれないわ」

 バシルという名にダミアンがピクリと反応する。それもそうだろう。ダミアンは将来を期待された魔族とはいえ、まだまだひよっこ。その点、バシルは死神を務める現役のエリートだ。その名を知らないはずがない。このままレイシスに突き出されては、魔族としての将来は望めないだろう。
 だが、ダミアンにとってはそんなこともうどうでも良かった。

(バシル様は、お嬢さんにとって数少ない味方だった。お嬢さんをそんな風にバシル様に会わせるわけにはいかない……)

「……俺の、ご主人は……人間界にはいない。お前が敵う相手でもない……」
「なんですって?」

 レイシスはダミアンの顎を掴むと、強引にその顔を自分に向けた。

「……面白いじゃない。会うのが楽しみだわ」
「お嬢さんは、来ない!」

 答えた途端、グッと捕まれた顎からミシミシと音がした。ダミアンは短い悲鳴をあげたが、レイシスは涼しい顔をしている。

「お嬢さん……? 女なのね。それも、少女」

 ダミアンの目が、ハッと見開き、レイシスから逸らされる。
 その反応を見て、レイシスの脳裏にひとりの少女が浮かび上がった。
 心酔するバシルが愛してやまない義妹――生まれがいいのに魔力がなく、親にも見放された非力な少女――。なにもできないくせに、バシルの愛情を受けていた女。ある日、自分の執事と共に忽然と魔界から姿を消したが、元々いない者のように扱われていたから、気に留める者は少なかった。

「まさか……。あの娘は、魔力を持たない落ちこぼれのはずよ」

 浮かび上がった赤毛の少女を、レイシスはすぐに打ち消した。
 あり得ない。あんなただの人形が、禁術を使いこなすほど魔力があるはずがない。気ばかり強くて、従順でもないあんな娘が、バシルからの愛情を受けるなど、あり得ない。私のことをろくに見てくれないバシルが、いつもあの娘には笑顔を向けるなんて、あってはならない。

「アゥ……ッ!!」

 ダミアンの顎を掴んだ手は、怒りでぶるぶる震え、爪はバシルの頬に突き刺さる。骨はメキメキと嫌な音を出していた。
 その時、あんなに熱くジクジクとうずいていた足から、急に痛みが消えた。
 レイシスも気が付いたのか、ダミアンの顎を乱暴に離す。やっと顎が自由になり、ダミアンも大きく息を吐き出した。強く締め付けられ、呼吸もままならなかったのだ。

「消えてる……」

 ダミアンの右足に深く刻まれていた火文字は、跡形もなく消えており、ビリビリに破れた布地だけが凄惨さを残していた。
 まさか、使い魔の副作用をこんな風に使われるとは思っていなかった。
 ダミアンを助けたかったのか、それとも、受け取ったであろう火文字を、己の身体から消し去るのが目的だったのか……。もしも前者であったなら、彼女は必ずレイシスの元に現れるだろう。
 さて、どうもてなそうか。
 その時、小さな蝶がどこからともなく現れた。それは、炎をまとった蝶だった。火蝶はレイシスになにかを伝えるため、火の粉をまき散らしながら彼女の周りをくるくると回る。

「そう……。まったく、手駒を失うと色々と面倒ね」

 おもむろに立ち上がると、レイシスはスッと指を差し出した。
 火蝶がその指先に止まると、レイシスはふぅっと息を吹きかける。すると、火蝶はパッと弾け、次の瞬間にはうっすら立ち上がる煙となって姿を消した。

「もっと痛めつけようと思ってたのに……。命拾いしたわね。おまえも、おまえのご主人様も」

 蠱惑的な笑みを見せるレイシスを、ダミアンは鋭く睨み付けた。

「あら、まだそんな目ができるの。面白いこと。いいわ。ご主人様が助けにくるまで、お前はじっくりといたぶってあげる。私が戻るのを待っていなさい」

 じわじわと、ねっとりと。せいぜい楽しませてもらおう。
 新しい玩具を見つけたような気分に、自然と口角が上がる。
 レイシスは、陰湿でねちっこい性格なのだ。
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