悪の華は恋を廻る
 ダミアンはエルランジェ男爵家の屋敷に着くと、ヒクヒクと鼻を動かした。

「中にいる……。ひとり……ふたり……ん~、五人か」

 屋敷の中から感じる人間の気配に、ひとつ異物が混ざっている。

「悪意を、喰いまくったか」

 禍々しい気配。それを人間は感じることができない。もしも感じることができたなら、一目散に逃げるだろう。それほど、異質なイキモノがここにはいた。
 人間界に常駐している魔族は、ジョルジュが話したように、人間界の監視のために置かれている小間使いのような存在だ。形を持たず、名も持たず、ゆらゆらとふらふらと存在する弱い存在。魔界では力が弱すぎて生きていくことはできない。魔族でありながら、人間界で自分より弱い人間に寄生し、悪意を喰らって生きていくしかないのだ。それが、建物の外からも分かるほど、巨大になっている。

「人間が四人か~。さすがに中に入るわけにはいかねえしなぁ」

 ダミアンは頭をワシャワシャと掻いた。
 人間のいるところで対峙するわけにはいかない。ジョルジュに頼めば記憶の修正くらいなんてことはないのだろうが、頼むのも癪に障る。
 今頃、ゾフィはジョルジュによって『治療』が施されているだろう。それを考えただけで、頭が沸騰しそうになる。

「あ~っ、くそっ! 考えてても仕方ねえ。こっちを片付けるか」

 ガシガシと両手で顔をこすり、そのまま頬をパチンと打つ。次の瞬間、木の陰から出てきたのは、シャルロットの姿だった。

「く、苦しいな。この恰好……足元がスースーして心もとないし……。くそっ。さっさと済ませよう」

 貴族のご令嬢らしからぬ足取りで玄関に近づくと、極力静かにドアノッカーを鳴らした。

「お嬢様! いかがなさいました? おひとりですか?」

 出迎えたメイドが驚いたように声を上げる。

「モリーを呼んでくれる?」

 バレては元も子もない。言葉少なにそう言うと、メイドは特に不審に感じた様子もなく、モリーを呼んだ。

「お嬢様。なにかございましたか?」

 突然呼び出したシャルロットを見ても、モリーの表情にはなにも浮かばない。

「散歩がしたいわ。付き合ってくれる?」

 返事を待たず、踵を返したシャルロットを、モリーは急いで後を追った。

「お嬢様、いかがなさいました?」
「いいからついて来て」

 屋敷の裏に広がる森に、どんどん歩を進める。
 華奢な靴を履いていても、倒木や枯葉をものともせず、ずんずんと先を歩くシャルロットに、モリーも違和感を覚えたようだった。

「お嬢様……?」
「まぁ、ここでいいだろう」

 シャルロットの可愛らしい声のまま、言葉だけがぞんざいになる。その言葉に、モリーはピタリと足を止め、肩を怒らせて警戒心をあらわにした。

「おまえ だれだ」

 くるりと振り返った姿は、見慣れた可憐な少女ではない。
 ガッシリとした体躯の、灰色の髪の男だった。そしてその身体からは、絶大なる魔力を感じる。
 モリーは、ヒッ。と短く息を吸うと、ギリリと歯を食いしばった。全身から汗が噴き出す。

「お前なんぞに名乗る名前は持ち合わせてねえなぁ。そっちが名乗れや。ま、名前を持つ魔族なら、な」
「……!!」

 怒りに、モリーの目がギョロリと回り、ダミアンを睨み付けた。
 だが、そんな威嚇にもダミアンは動じない。そこには魔族としての圧倒的な差があった。いくら人間の悪意を大量に喰らったとしても、相手はなにかに寄生しなければ生きていけない小者だ。

「あ~あ、こんなんを相手にしなきゃなんねえとはなぁ……」

 ダミアンは深くため息をつき、両腕を身体の前で交差させた。すると、掌が獣のそれになり、鋭い爪が長く伸びる。
 モリーはビクッと全身を震わせた。ダミアンに向き合ったまま、じり……じり……と後退する。だが、その距離はダミアンの跳躍で一気に縮まった。
 モリーが見上げた時には、ダミアンは既に大きくモリーを飛び越え、ピタリと背後についていた。

「ギャッ!!」

 慌てて逃げようとするが、モリーは一歩も動けない。足元の影にはザックリと爪が突き立てられ、影はまるで魚のようにピチピチと跳ねている。

『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 魔物とモリー、ふたつの声が重なる。モリーは両腕で自身を抱きしめ、ガタガタと大きく震えている。影は、まるでモリーから抜け出そうとでもするように、大きく膨らんだり伸びたりしていた。

「あ~あ。手応えがねぇなぁ……」

 片手の爪を影に突き刺したまま、ダミアンはもう片方の爪を本体からザックリと引き剥がした。

「ぎゃぁぁぁぁ……!」

 モリーは両腕を身体に巻き付けたまま、パタリと倒れた。その身体はどんどん縮み、全身がしわくちゃになり、叫び声は掠れ、やがて声は失われた。
 長い間、魔物に寄生されていたその身体は、とっくの昔に人間としての寿命を迎えていたのだろう。あっという間に枯れ木のようにしぼむと、ボロボロと端から崩れ出した。やがて、全てが細かな粉となると、サァァ……と風に攫われる。
 いつから、魔物に操られていたのだろう。いつからモリーは人ではなくなったのか。せめてもの供養だと、ダミアンは残ったメイド服を焼いた。

「さて……と」

 ダミアンの爪により、地面に縫い付けられたままの影は逃げることを諦めたのか、プルプルと震えていた。

『赦してください。なんでもします。一生、尽くしますから! 旦那!!』
「お前に旦那って言われても、虫唾が走るだけだ」

 ダミアンは冷たく言うと、勢いよく地面から爪を抜く。一気に解放された影は、爪の動きの後を追うように空へと飛び上がった。『助かった――!』そう影が思ったのは、ほんの一瞬だった。ヒュン――ダミアンの爪が空を斬り、あっという間に影は散り散りになる。影が再び集結する前に、欠片のひとつにボッと火が点くと、炎はすぐに全体を包み込み、まるで花火のように広がり、パッと散った。

「あっけないもんだ。もう少し、楽しませてくれよ」
「では、私が相手をしようか?」

 背後からかけられた声に、ダミアンの全身の毛が逆立つ気がした。
 パッと身をひるがえし、距離を取る。さっきまでいた場所には、火の矢が二本突き刺さっていた。

「さすが、身軽なのねぇ」
「お前……誰だ!」

 立っていたのは、長い黒髪にふっくらとした唇を持つ、妖艶な魔女だった。
 魔女は楽しそうに笑う。

「あらあら、こういう時は、先に名乗るべきよ。でも……そんな必要もないかしら? 魔界から脱走したダミアン・ラクロ。いずれ、獣人族を率いると噂されていた有望株。それが、今や人間界で雑魚を狩っているなんて」

 その言葉にダミアンが動揺し、動きが一瞬止まった。
 魔女はそれを逃さなかった。
 再び放たれた矢が、ダミアンの太ももに突き刺さる。

「あっ――!!」

 手で抜こうと矢に触れると、手のひらに熱い痛みが走る。

「無理よ。その矢には術がかけてあるの」
「くっそ……!」

 動こうとすると、射貫かれた足から徐々に力が抜けていくのがわかった。

「さて……。あなたをどうしようかしら。魔界に連れ戻す? そうすれば、あの方は喜んでくれるかしら? あぁ、このまま手下にするのもいいかもしれないわね」

 魔女は楽しそうにコロコロと笑う。だが、ダミアンの顎に指を添えて上を向かせた時、違和感に眉をひそめた。

「あら……? 術がかけられてる……? この術は……」

 ダミアンが使い魔の契約を結んでいることに、魔女は驚いた。
 使い魔の契約は禁断の術だ。しかも、絶大な魔力が必要な、高難度の魔術だ。

「一体、誰が――?」

 顔を近づけ、クンクンと匂いを確認するが、ダミアンから感じる魔力も、香りも、魔女の知ったものではなかった。

「ふん……。面白いわ。おまえは、このまま私が預かることにする。おまえと契約を交わした魔族が一体誰なのか、それを知るのが楽しみね」

 魔女がそう言いながら不敵な笑みを浮かべるのを見ると、ダミアンは意識を手放した。

(お嬢さん……、ごめん……。しくじった……)

 倒れ込んだダミアンを確認すると、魔女は足の矢をいとも簡単に抜いた。そして、そのまま矢を長いヒモに変えると、ダミアンを後ろ手にして身体を縛り上げる。

「さて……。モリーを失ったことは想定外だったけれど、ダミアンが私の手に渡ったのだから、分はこちらにあるわね」

 魔女はクスクスと笑うと、ダミアンを簡単に担ぎ上げ、巻き上がった風と共に姿を消した。


 * * *


 上機嫌でナイフを動かしていたゾフィの手が、突然ピタリと止まった。

「いかがなさいました? お嬢様」

 ジョルジュの問いかけにもすぐに応えず、ゾフィは不思議そうに首をひねる。

「う〜ん……。なにかしら。なんだか違和感が……」
「お食事がお口に合いませんでしたか? 子牛の脳みそが手に入ったので、お嬢様の大好きなコトレッタ風にしてみたのですが……。やはり、魔界で手に入るものより新鮮ではありませんから、風味が落ちるでしょうか……」

 ジョルジュが心底残念そうに言う。
 ジョルジュが一体いつどんな手で、それを手に入れたかは、あえて触れないことにした。それよりも、足がゾワゾワして仕方がないのだ。

「なんだか、太ももがおかしいのよ。ゾワゾワするというか……かと思うと、引き攣ったような感じの時もあるし……」

ゾフィはナイフを放り出し、両手でドレスの上から右足をさすった。ドレス丈は勿論長いので、ジョルジュにはそれが見えない。

「お嬢様。私が……確認いたしましょうか?」

 ジョルジュが心配そうに声をかけるも、思わずゴクリと喉が鳴る。それに気が付き、ゾフィは盛大に眉をひそめた。

「ジョルジュ、今喉を鳴らしたわね」
「失礼いたしました。つい……想像致しまして」
「なにを……っ、あ、熱っ!!」

 なにを想像してるの! そう叱りつけたかったのに、右足の異変にゾフィは悲鳴を上げた。
 身をよじりイスから転げたゾフィを、すんでのところでジョルジュが抱きとめた。

「これは……!?」

 ドレスに包まれたゾフィの右足には、炎に包まれた矢が深々と刺さっている。だが、その矢はおぼろげで実態はない。苦痛からのがれようとゾフィが矢を抜こうとするが、その手は空を掻くだけだった。

「……失礼します!」

 ジョルジュがスカートを掴むと、乱暴な手つきで大きくめくり上げた。白く、すんなりと伸びた足が現れる。だが、その右足の太ももは真っ赤に色づき、中央には矢が刺さって痛々しい。
 ジョルジュは実態を持たない矢を、真上から押しつぶすように掌を押し当てた。その手にもまた矢が突き抜け、赤く染まる。激痛が走り、ジョルジュは一瞬顔を歪めた。だが、その次の瞬間、彼の手に刺さった矢は白く凍り付き、バラバラと崩れ落ちた。続いて、赤く熱を持つゾフィの太ももに、ゆっくり、じっくりと掌を這わせた。手の動きに合わせ、徐々に赤みが引いていく。はだけた足元が気になったが、痛みが消えていくことにゾフィもホッとした。

「彼を取り戻しにいらっしゃい……」
「えっ?」

 呟くようにジョルジュが発した言葉に、ゾフィが自身の足を見ると、真っ白な肌に、赤い文字がくっきりと浮かび上がっていた。

『ダミアンのご主人様。彼を取り戻しにいらっしゃい』

 引き攣ったような感覚は、これだったのだろうか。ふざけた真似をしてくれる。
 ゾフィは自分の身体の中からふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。

「なんてことを……。お嬢様の美しい肌に、このような文字を刻むなど……!!」

 ジョルジュもまた、禍々しいオーラを出している。

「雑魚がこんなことまで仕掛けてくるとは思わなかったわ。まったく、ダミアンは一体なにをしているの。モリーに捕まるなんて」

 ゾフィはイラついたように小さく舌打ちすると、そのメッセージを消すために、掌を足に押し付けようとした。

「――お待ちください。それは、モリーとやらが仕掛けたものではございません」
「えっ?」

 足に触れるすんでのところで、ゾフィの手が止まる。

「どういうこと? 関わっている魔族は雑魚だと言ったわよね?」
「どうやら、黒幕がいるようでございます」
「黒幕……。そうか。モリーはダミアンの存在も、名前も知らないはずだものね……ジョルジュ、心当たりがあるの?」
「ええ……。その文字からわずかながらに発せられる魔力に、覚えがございます」

 失礼いたします――。そう言い、ジョルジュは自らの手をゾフィの足に押し当てる。
 熱を取り去ったゾフィの肌は、先ほどジョルジュが施した術により、ひんやりとしていた。柔らかく、吸い付くような感触を惜しみながら、ゆっくりと掌を移動させる。そしてゾフィの肌に残る醜い文字と、そこに残るわずかな魔力から犯人を辿った。
 ゾフィの目の前で、赤い文字は段々消えていく。ジョルジュの掌が膝にまで移動した頃には、挑発的な文字はなくなり、すっかり元通りになった。
 ゾフィは安堵に大きく息を吐く。傷を消してくれたジョルジュには感謝するが、手を離す間際、ゾフィの内腿をやんわりとつまんだのは余計だと思った。

「それで……? 犯人は誰? 姿も見せず、気配も感じさせず……こんなことができる魔族なんて、私知らないわ」
「ええ。本来でしたらこんな遠隔魔法など、誰もできません。ですが、お嬢様はダミアンと使い魔の契約を結びました。使い魔にかけられた術は、主人にも影響を及ぼします。彼女はきっと、それを利用したのでしょう」
「彼女? ……女なの?」
「ええ。お嬢様もよくご存じの魔女ですよ。レイシスです」

 ジョルジュが発した意外な名前に、ゾフィは目を見開いた。
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