メガネ王子に翻弄されて
第十章

〇野口不動産・一階フロア(午後)
受付前を通りすぎ、奥の商談スペースに急ぐゆり子。

背を向けてイスに座る男性に声をかける。
ゆり子「江藤部長?」
江藤「香山さん!」
青木建設の江藤が振り向き立ち上がる。

江藤「アポも取らずに突然押しかけてすみません」
頭を下げる。

ゆり子「いいえ。あの、なにか急用でしたか?」
江藤「いえ。近くまで来たので」
と、笑顔。

ゆり子「そうでしたか」
江藤とともにイスに座ると、脇に置かれているキャリーケースに気づく。

江藤「実はこれから出張でイギリスに行くんです」
キャリーケースをポンと叩く江藤。
ゆり子「えっ? イギリスですか」
と、驚く。

江藤「はい。日本を離れる前に、香山さんの顔を見ておこうと思い立ちまして」
ゆり子「そ、そうでしたか」

江藤「お土産はなにがいいですか?」
ゆり子「いいえ。お気遣いなく」
手のひらをフルフルと振るゆり子を見た江藤が笑う。

江藤「出張から帰ってきたら、ゆっくり会ってもらえますか?」
ゆり子「はい。もちろんです。イギリスの話、楽しみにしています」
と、微笑む。

江藤「わかりました。それじゃあ、これで」
ゆり子「はい」
イスから立ち上がるふたり。

〇同・外
江藤「行ってきます」
ゆり子「いってらっしゃいませ」
と、頭を下げる。

ゆり子(イギリス出張か。さすが大手建設株式会社だな)
キャリーケースを転がす江藤の後ろ姿を見送る。

〇野口不動産・開発事業部オフィス(午前)
入力業務をこなすゆり子。

デスクの上に置いてある卓上カレンダーは五月。
十七日の金曜日に『15:00~ 開発事業メンバー顔合わせ』と『18:30~ 親睦会』との書き込みが。

〇同・開発事業部ミーティングルーム(午後)
開発事業メンバーが揃ったミーティングルーム内。

望月「チーフの望月です」
望月を筆頭に、次々と挨拶していくメンバー。

隆弘「北関東支社の阿部隆弘です。三年前に営業部から北関東支社に異動となり……」
自己紹介する隆弘を見つめるゆり子。

ゆり子(全然変わってない……)

隆弘「よろしくお願いします」
挨拶が終わり頭を下げてイスに座った隆弘が、ゆり子に視線を向ける。

目が合い、慌てて視線を逸らすゆり子。

ゆり子の様子を見た隆弘が、口角を上げる。

〇同・開発事業部オフィス(夕)
オフィスの時計の針が午後五時三十分を差す。

顔合わせが終わり、メンバーがミーティングルームから出る。
隆弘「ゆり子」
背後から声をかけられ、振り返るゆり子。

ゆり子「久しぶりだね」
隆弘「ああ。ゆり子も元気そうだな」
ゆり子「おかげさまで」
と、微笑む。

ゆり子「市原くんには会った?」
隆弘「まだ。営業部にも顔出したいし、そのあと様子を見てくる」
ゆり子「そっか」

隆弘「ゆり子も親睦会に参加するんだろ?」
ゆり子「うん」
隆弘「だったらまたその時、いろいろと話そう」
ゆり子「わかった」

手を上げて開発事業部を出て行く隆弘を見送るゆり子。
ゆり子(思ったよりも普通に話せるもんだな……)
と、デスクに戻る。

仲よさげに話をするゆり子と隆弘を遠くから見つめる望月。
苛立ちを押さえきれず、デスクの上に書類をドンと置く。

〇レストラン・店内(夜)
開発事業メンバー「乾杯」
と、グラスを合わせる。

隆弘「メンバーの中に、ゆり子の名前を見つけた時は驚いたよ」
ゆり子「私も」
隆弘「まさか、一緒に働く日が訪れるとはな」
ゆり子「そうだね」
笑い合うゆり子と隆弘。

隆弘「あのさ……。今さらだけど、いろいろと悪かった」
と、頭を下げる。

× × ×
ドアの隙間から中を覗くと、ベッドの上に裸の隆弘と女の姿が。
ゆり子(な、なんで?)
ショックを受けたゆり子の手からコンビニ袋がドサッと落ちる。
× × ×
隆弘「彼女と会えない日が続けば、さすがに溜まるだろ? 男のお前なら、俺の気持ちわかってくれるよな?」
と、市原の肩をポンと叩く。
× × ×
隆弘に裏切られた過去の出来事を思い出すゆり子。

ゆり子「ううん。もう昔のことだから……」
と、首を振る。

隆弘「昔のことって言っても、まだ三年しか経ってないだろ」
ゆり子「そうだけど……」

隆弘「……俺、今でも後悔してるんだ」
ゆり子「えっ?」
目を丸くするゆり子を真っ直ぐ見つめる隆弘。

隆弘「俺たち、やり直さないか?」
ゆり子「……っ!」

ゆり子(やり直さないかって……。隆弘には奥さんと子供がいるのに……)

言葉を失っているゆり子を見た隆弘が笑う。

隆弘「なんて、な」
ゆり子「も、もう。ビックリさせないでよ!」
と、隆弘の肩をパンと叩く。

隆弘「痛いな」
と、叩かれた肩を擦るも、すぐに真顔になる。

隆弘「でも後悔していたのは本当なんだ。ゆり子にきちんと謝ってから北関東支社に異動すればよかったってずっと思ってた」
手にしているグラスに視線と落とす。

ゆり子「私もあの時、もっと怒って隆弘を責めればよかったって思ってる」
隆弘「そっか」
ゆり子「うん」
静かに笑い合うふたり。

ゆり子「あ、そうだ。結婚とお子さんの誕生、おめでとう」
笑顔で祝福する。

隆弘「サンキュ。ゆり子は結婚の予定は?」
ゆり子「ありません」

隆弘「彼氏は?」
ゆり子「いません」

隆弘「へえ。そうか……」
と、目を丸くする。

ゆり子「そんなに驚かなくてもいいでしょ」
隆弘「そうなんだけど……。市原は?」

ゆり子「市原くんがなに?」
隆弘「いや……。そっか。アイツもなにやってんだかな……」
と、グラスに口をつける。

ゆり子「えっ? なに?」
隆弘「なんでもない」
ゆり子「……変なの」
と、笑い、グラスに口をつける。

ゆり子と隆弘の様子を遠巻きに見つめる望月。
望月「……」
ゆり子と隆弘から視線を逸らした望月が、ビールを飲み干す。

〇同・外
「お疲れさまでした」と挨拶するメンバーから、少し離れたところで向かい合うゆり子と隆弘。

隆弘「ふたりで飲み直さないか?」
ゆり子「……」

ゆり子(どうしようかな……)
悩んでいると、隆弘の左薬指に光る結婚指輪に気づく。

ゆり子(もう私たちはふたりきりで飲むような関係じゃない)
隆弘の顔を見つめる。

ゆり子「今日はもう帰る」
と、誘いを断った瞬間。

望月「香山さん。送ります」
ゆり子の腕を望月が掴む。

ゆり子(えっ? なに?)

ゆり子「あっ……」
望月「……」
戸惑うゆり子にかまわず、足を進める。

ゆり子の腕を掴んだまま歩く望月の後ろ姿を見つめる隆弘。
隆弘「へえ、そういうこと」
と、口角を上げる。

〇大通り
ゆり子の腕を掴んだまま、片手を上げる望月の前にタクシーが止まる。

望月「乗ってください」
後部座席にゆり子を強引に押し込む。

〇タクシー・車内
望月「目黒まで」
運転手「はい」
ゆり子に続いて後部座席に乗り込んだ望月が行き先を告げると、タクシーが発進する。

望月「……」
黙り込む望月の横顔をチラリと見つめるゆり子。

ゆり子(怒ってる?)
身を縮めるゆり子に、望月が視線を向ける。

望月「北関東支社の阿部さんとは名前で呼び合うような仲みたいですが、どのような関係なんですか?」
ゆり子「ど、同期なの」

望月「へえ、そうですか。阿部さんって、結婚してるんですよね?」
ゆり子「うん。子供もふたりいる」

望月「ふたり……」
目を見開く望月。
ゆり子「うん。そう」
と、うなずく。

望月「同期だからといって、奥さんとお子さんがいる男性と、ふたりきりで飲みに行こうとするのはよくないと思いますけど」
と、メガネのブリッジを押し上げる。

ゆり子「私もそう思って断った」
望月「……えっ? 断った?」
固まったままゆり子を見つめる望月。

ゆり子「うん。帰るって断ったけど」
望月「……そ、そうでしたか」
と、後部座席のシートに背中をつける。

ゆり子(普段は冷静な彼がこんな風に取り乱すなんて、珍しい)
望月をじっと見つめる。

ゆり子「……なんで、そんなに怒ってるの?」
望月「別に怒ってません」
と、不機嫌なまま。
ゆり子「ほら、怒ってる……」
と、ションボリ。

望月「……すみません。俺、阿部さんに嫉妬しました」
うつむき、髪をクシャリと掻き乱す。

ゆり子「嫉妬?」
望月「……はい」
ゆり子「どうして望月チーフが隆弘に嫉妬するの?」
と、首を傾げる。

顔を上げてゆり子を見つめる望月。
望月「それは……」
ゆり子「それは?」

望月「それは……」
ゆり子「それは?」
望月に体を寄せて、目をじっと見つめるゆり子。

望月「……」
顔を赤くした望月が口に手をあてて、ゆり子から顔を逸らす。

ゆり子「望月チーフ? 酔ってる?」
望月「……っ?」
ゆり子「顔、赤いけど大丈夫?」
さらに望月の顔を覗き込むゆり子。

近くに迫ったゆり子の顔を見た望月の顔が、ますます赤くなる。
望月「……人の気も知らないで」
視線を逸らし、ポツリ。

ゆりこ「えっ? なに?」
望月「……なんでもありません。それより仕事以外のときは、俺のことをチーフと呼ぶのはやめてください」

ゆり子「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
望月「・・・…お好きなように」

ゆり子「そう言われても……。望月さん? 望月くん?……敦さん? 敦くん……は違うな」
と、ひとりでブツブツつぶやく。

望月「……」
自分の名を呼ぶゆり子の声を聞いた望月の口元が緩む。

運転手「お客さん、もうすぐ目黒駅ですが」
ゆり子「あ、次の信号を右折してください」

身をのり出して行き先を説明するゆり子を見つめる望月。

〇ゆり子のマンション前
マンション前にタクシーが到着する。

外に出て、ゆり子がタクシーから降りるのを見守る望月。

ゆり子が降りると、望月が後部座席から運転手に声をかける。
望月「すぐ戻りますので、待っててもらえますか?」
運転手「はい」

望月「部屋まで送ります」
隣に並ぶゆり子を見下ろす望月。

ゆり子「ここで大丈夫だよ」
望月「……」
黙ったままマンションのエントランスに向かう望月。

ゆり子(無愛想なのに、優しんだから)
頬を緩めたゆり子が、望月の後を追う。

〇マンション・ゆり子の部屋前
ガチャリと玄関が解錠される。

ドアを開けたゆり子が望月を上目づかいで見つめる。
ゆり子「えっと……コーヒーでも飲む?」

望月「飲みま……せん」
と、迷いを見せるも誘いを断る。

ゆり子「だよね。送ってくれたお礼として言っただけだから気にしないで」
髪を耳にかけて笑う。

ゆり子の仕草と笑顔を見た望月の鼓動がドクンと高ぶる。

半分だけ開いたドアに手をかける望月。
ゆり子「えっ?」
驚くゆり子にかまわず、ドアを全開にした望月が中に押し入る。

〇同・玄関内
ドアを後ろ手で閉めた望月が玄関の壁に両手をつき、ゆり子を囲い込む。

望月「……無自覚だから困る」
ゆり子「無自覚?」
と、キョトンとしながら望月を見上げる。

望月「ほら。またそうやってかわいい顔をする……」
ゆり子(か、かわいいって……)

わけがわからず戸惑うゆり子の両頬に手をあてる望月。

ゆり子「望月……くん? 酔ってる?」
ゆり子の瞳が揺れる。
望月「酔ってません」
と、瞳を伏せる。

そのまま顔を近づけた望月が、ゆり子の唇を塞ぐ。

突然の出来事に驚き、目を開けたままキスされるゆり子。


つづく

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