婚前溺愛~一夜の過ちから夫婦はじめます~
「里桜ちゃん、もう帰るのかい?」
夕方、五時過ぎ――。
詰所で引き継ぎを終えて廊下を歩いていると、食堂に向かう利用者さんたちに声を掛けられた。
「山田さん! はい、今日はもう帰るところです」
「そうかぁ、寂しいなぁ。ずっと里桜ちゃんがいればいいのに」
「またまたー、そんな嬉しいこと言ってくれるんだから」
有料老人ホームに介護ヘルパーとして働く私――紀平里桜は、この『長寿苑 憩いの森』に勤めてもうすぐ二年が経とうとしている。
短大を卒業して事務職に就いたものの、なんとなく働く毎日にやりがいは感じられず疑問を抱いていた。
これといった資格を持っているわけでもなく、転職をすることも難しい。
そんなときに興味を持ったのが介護ヘルパーの資格だった。
事務の仕事をしながら講習を受け資格を取得し、思い切ってした介護職への転職。
世の中ではきつくて大変だと言われている仕事だけれど、これが私には事務職から転職して良かったと思える、まさに〝天職〟だった。
昔からもともと、お年寄りと接することが好きだったことが大きいのかもしれない。