Before dawn〜夜明け前〜


「もうちょっと深かったら縫わなきゃいけなかったわね」

保健医が血だらけのいぶきの手を消毒する。

「刃物の傷は塞がりにくいからいっそ縫ったほうがいいかもしれない」

黒川が傷の大きさを確認して、言った。

「…青山さん。
これは、立派ないじめよ。担任に報告するわ」

包帯を巻きながら、保健医は心配そうにいぶきをのぞき込む。


いぶきを優しく守ろうとした教師が、そのあと学校にいられなくなったり、教職すら追われることさえあるのを知っているいぶきは、何も言わず、ただ白い包帯を見ていた。


風祭の力はどこまでも陰湿にいぶきに絡みつき、のしかかる。
それほどいぶきは、風祭にとって忌むべき存在である手駒なのだ。


「お家の方にも…」
「先生、大丈夫だから。お願いだから何も言わないで下さい。ありがとうございました」

いぶきはちらりと保健医の手元、机上の『来室生徒記録簿』を見る。そして、無言で手を伸ばし、“1-A青山いぶき”の記載を二重線で消した。

記録に残さないで欲しい。いぶきの意図はわかったが、保健医は顔をしかめる。

ーーこの娘はどういう子なのだろう。心が強く、一人で戦える子?それとも、心の中でSOSを送る、救いを求めている娘?

いぶきの表情からは何も読み取れない。その姿を見送りながら、いぶきの個人記録表を取り出した。

「…え…」

名前、生年月日、血液型以外の項目は白紙。住所も連絡先もない。緊急連絡先に至っては“不要”となっている。家族欄も空欄。
備考欄に一言、“緊急の際は、教頭へ連絡のこと”とある。

ーー青山いぶき。特別、訳ありの生徒か。

保健医はさすがに背筋がゾッとして、来室記録簿のいぶきの名前を修正液で丁寧に塗り潰した…





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