Before dawn〜夜明け前〜
いぶきが目を伏せた。

あの力強い目線が途切れると、一条はなんだか物足りなさを感じる。


ーーあの目で俺を見ろ。


一条は、まだうっすら赤みの残るほうの手でいぶきのアゴを掴み、ぐっと自分のほうに向けた。

端正な一条の顔が間近にある。
いぶきは視線を逸らした。

「世界の一条の御曹司ともあろう人が、私のような者に何を望まれるのですか?
何でも手に入らないものなんて、ないですよね」

「そう。

俺は、一条で生きるしかないんだよ。

常に誰より優秀で無ければならない。
正直、疲れてるんだ。
でも、ヘタに遊んだりすれば、勘違いした女が騒いだりしても困るし。

だから、お前。
風祭の隠し子だってバラされたく無ければ…
俺の言う事、何でも聞けよ」

言葉は、酷い。
いぶきの事を都合の良い女としか思っていない。

でも、『一条で生きるしかない』という言葉に、いぶきの心が震えた。

風祭でずっと生きるしかない、いぶきと同じ。

御曹司と使用人。立場は違えど、家という鎖に繋がれている。

いぶきは全てを悟り、一条を見た。

「まずは、何を?」

一条が具体的に何を求めているのかを問う。

「そうだな…
俺は利き手を火傷してるからな」

一条は、不敵な笑みを浮かべる。
手に再びタオルを巻き、いぶきと共に客間に戻った。



「一条くん、大丈夫なの!?」

玲子が真っ先に駆け寄る。

玲子の服はわずかに乱れ、頬も赤らんでいる。

一条は、丹下に目をやった。
丹下は肩をすくめて、小さくうなづく。

「あぁ、まだ痛むんだ。
知っていると思うけど、俺、今、一人暮らしなんだ。受験勉強しやすいようにさ。
だけど、これじゃ何も出来そうにない。

そこで、風祭さん。
悪いけど痛みが引くまで、使用人、貸してもらえないか?

夕飯の準備してもらえたら、助かる。
今から一条の家から誰か手配しても、時間かかるからさ」

「それは、構わないけど…
病院行かなくて大丈夫?」

「様子見るよ。
今日はお招きありがとう、風祭さん。
心配させて、すまない。
快く使用人を貸してくれてありがとう。
この埋め合わせに、今度、うちのパーティに招待するよ」

一条家のパーティと聞いて、玲子は色めき立つ。

「いぶき、あんた、一条くんのところで粗相するんじゃないわよ」

そう釘を刺して、アッサリいぶきを送り出した。





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