拝啓ヒトラーさん




少しの間。
先生は疑うように「アナウンサーの言ったこと、覚えてる?」と聞いてきた。
私は頷いてから口を開く。
「本日未明、京都市伏見区の住宅地で火災が発生し、住宅6棟が全焼しました。火元は今現在は不明であり、警察では放火の可能性も考えて調査をしています。16日から始まった渋谷での」「うん、ありがとう」

もういいよ、もういい。
先生はカルテに何かを書き込みながらそう言った。
今更なにを書き込むことがあるのだろう。
私が一度聞いたことは忘れないことは、先生はとっくに知っているだろうに。
私が不思議に思っていると、「ラジオでの相談内容は?」と聞いてきた。

「私の会社では上司が全く動かないんです。片付けるのは女の仕事、飲み物を用意するのは女の仕事、プリンターの紙を補充するのも女の仕事って具合です。誰かがやってくれるだろうというあの態度がほんと〜にムカつきます」

「うん、ありがとう」

モニターのほうは聞くまでもないね、と先生は言った。
それから前川夫婦へ顔を向け、「おそらくですが、」と切り出した。

「カクテルパーティー効果がないと思われます」

「カクテルパーティー?」

「人間が持つ、音の取捨選択能力です」

カクテルパーティーのように、たくさんの人が雑談しているなかでも、自分の名前は聞き取れるでしょう?
人間は音を処理して必要な情報のみを聞き取ることが無意識にできるのです。
カクテルパーティー効果があるから、人間は人混みでも雑談ができる。

「さきほどモニターを見るよう指示しました。しかし春さんはモニターだけでなくラジオもパソコンも聞いていました。おそらく、春さんにカクテルパーティー効果はない。耳に入る音全てを認識していますね」


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