嫁入り契約~御曹司は新妻を独占したい~
「戻ってくるのが遅いから、逃げ出したのかと思ったよ」


冗談交じりの声で薫さんが言った。
シャレにならないんですけど……。

逃げ出したい気持ちをグッと堪え、私はお父様の体調を考慮してご挨拶だけさせてもらった。

直接お目にかかったのは入社式以来だけど、とても優しそうなロマンスグレーの若々しい方で、話し方も穏やかで、結婚することも、相手の私が平社員であることも喜んでくださった。

あまり長居をしてお体に差し支えるといけないので、早々にお暇することにし、拍子抜けするくらいあっさりしてたな、と思ったのも束の間。

去り際のお父様の一言で、私は凍りついた。


「早く、跡継ぎの顔を見せてくれよ」


ベッドに横になり、うわ言のようにお父様は言った。

やっぱり櫻葉家にとっての最重要なのは、そのことなんだ……。

それからお手伝いさんやお父様専属のお医者様、看護師さんやヘルパーさんにもご挨拶し、ご実家訪問という難易度の高い任務をなんとか私は無事に終えた。

緊張から解放されてホッとしていると、お手伝いさんに応接室に通された。


「一華様、お茶をお持ちしました」


アンティークの応接セットに肩を強張らせながら座っていた私に、これまた調度品のように上品で高級そうなティーカップが運ばれてくる。


「ありがとうございます」


い、一華様だなんて……。
私は恐縮し、ぺこりと頭を下げた。

零さないように慎重にカップを口元に持ってくると、紅茶の芳ばしくてとても良い香りが鼻を掠めた。


「すごく美味しい……! こんなに美味しい紅茶を飲むの、初めてです」
「それは良かった」


優雅に足を組んで椅子に座った薫さんは、紅茶のカップを片手に微笑んだ。
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