リリカルな恋人たち
「小説家の矢郷シュウ、だよね?」
「うん」


きょとんとした相手は、あっさり頷いた。口をvみたいな形にして。


「知ってたんだ」
「いや、これ見たから」わたしは雑誌に目を落として合図する。
「あ、けっこう前のだね」


彼は……矢郷シュウは、にこにこしながら言った。
なんかすごい、嬉しそうっていうか、楽しそう……?


「雨宮 友(あめみや ゆう)さん、だよね」
「し……知ってたの?」
「うん、調べた」


ブルッと肩が震えた。
なんか怖いんですけど……。

調べた、って、なにを? どこまで?
脅されて、ゆすられて、布団とか売られないよね?

などと物騒なことを考えて警戒していると、それまでとても愛想のいい笑顔だった矢郷シュウは、その表情を一変させた。


「仕事のあと、ふたりきりになりたい」


神々しいくらい、凛々しく真剣な面差し。

目が離せなくなる、魔力がある。


「……焼きそば?」
「野暮だなぁ、友チャン」
「あ?」

ちっちっちっ、と人差し指を立ててメトロノームみたいに左右に振るという古典的な否定動作を惜しげも無く目の前のわたしに披露した相手は、次にテーブルに身を乗り出して前傾の姿勢になった。

そして空いたわたしの左手を取って、手のひら同士を重ねるように自分のと握り合わせる。

ちょうど、お会計のために席を立った隣の女性客たちがその光景を見て、ひゃっと初々しい悲鳴を上げた。


「で……でもあれ、一度限りの過ち的なヤツだったんじゃ……」


額から変な汗が流れる。
肌が粟立った。


「一度限りなんて無理だよ」


ちゃんちゃらおかしいよ、てな言い方をして、矢郷シュウはわたしの手を自分の口元に持っていく。
躊躇いなど露ほどもなく、唇を寄せる。
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