マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~

《二》





就業時間を一時間以上過ぎた頃、私は職場を出て帰路に着いた。

非常階段で目撃してしまった場面は、気持ちを落ち着かせるどころか平常心を奪うのに十分な威力を持っていたらしい。

何ごとも無かったようにいつもの席に座る高柳統括マネージャー。
当事者である彼は平然としているのに、どういうわけか私の方がそわそわしてしまい、彼が動く度に意識がそちらに持って行かれてしまう。
何とか自分の仕事に集中しようと頑張るが、どうにも上手くいかず仕事が手に着かない。
結果、彼が席を外すまでの二時間ほど、私の仕事は捗らなかった。
意識しないように意識する、それは結局意識し続けるということを学んだ二時間だった。


(今日の私、まったくダメね……)

暗い車窓に、吊革に掴まる自分が映っている。

『仕事だけはきちんと』

心に決めていたことを、些細なことで守れなくなる弱い自分が悔しい。
非常階段の出来事のせいで集中力を欠き残業になってしまった。結果としてすっかりその前の出来事を忘れてしまったのは、良いのか悪いのか――。

大澤さんが帰り際に、『あの後、あの子達にちゃんと釘を刺しておきましたから』と私の耳元で囁いたけれど、一瞬何のことか分からなかった。

そんな私を見た大澤さんが、『主任が気にしてないようでホッとしました』と微笑んで帰って行った。

(やっぱり素敵なお姉さんだな)と、彼女のうしろ姿を見送りながら思っていた。


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