家族の紐帯
 冷静に考えて上のようなやり方を適切と判断する人はあるだろうか。むろん私は最終手段に打って出るまでは母に数度警告したし、処置の結果ある程度の自重を母に強いらせ私に対する畏怖を抱かせることができたのも事実だ。しかし到底一人息子の甘ちゃんには家父長のごとき威厳と厳格さは持ち得ない。数学者の藤原正彦先生は殴り方にもコツがあるとおっしゃっていたが、私のやり方は後々、逆に母の不審を買う結果に繋がっていったのだった。
 そもそも物を使って人を殴る。これは適当な矯正法だろうか。学生時代、物差しや教科書の角などでやられた経験は印象に残っているが、あれは教師-生徒間の明確な上下関係と教師という職業の専門性ゆえに効力があったと考えられる。思うに生徒には物差し、教科書ないし名簿といういわば教師の必携アイテムによって「教育的指導」を受けることはある意味自然と捉えられていただろう。私はそれらはいわば教師の体の一部として同化していると考える。手で殴らないからといって「物を使って殴るのは卑怯だ」と非難する者はおるまい。いや中にはそういう考えを抱く者もあるかもしれないが、私にとっては常に、「指導」用の細長くムチのようにしなる物差しを横に置いて授業を進める人気者のS先生や仏頂面で教科書の角をコツンと振り下ろす住職も務めていたS先生、ないしあの黒い学級名簿を女生徒にも容赦せず思いっきり叩きつけるシャープでダンディなI先生の姿を目の当たりにして恐怖と緊張を覚えたものであった。
 親子関係のしつけはどうだろうか。子供をしつけるのにそこら辺にあった新聞や雑誌なんかで叩く親の姿を想像してみる。ハエを殺すのでもあるまいしどうも場当たり的な感じがする。何か物を使うのであれば、剣道の竹刀やおみやげ屋によく置いてあるような「精神注入棒」などを用いるのが好ましく思われる(あまりコミカルなものだとしつけ用道具としての威厳を失い逆効果の恐れがある。いや、コミカルなものがほとんどか(笑))。イメージとしては座禅時に僧侶の使う警策のようなものがベストだろう。何であれ、「しつけの時には常に用いられるもの」という印象を子供に与え、親との一体感を醸し出すものでなければならないと思う。でなければ子供は親の怒りを一時の感情的なものと捉え、反発心を起こし素直な反省の妨げとなりかねない。
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