家族の紐帯
しかるにペットボトルで殴った私の行為は母に対するしつけの意味では失敗であったと考えざるを得ない。また、腰を何度も蹴り上げるというのもしつけからほど遠いものであるのは明らかであろう。これは暴力行為である。前回祖母との約束を果たせなかった後悔もあって腰を集中的に狙ったのであったのだが、しつけと過去の復讐とを混同してしまうのは不適切なやり方であった。馬乗りになって殴りつけるという行為も母に恐怖を植え付ける手段としてはやむを得なかった面もあるが、結果的には母に間違った印象を与えることになってしまった。
 「心を鬼にして」、「母に私の本気を示す」行為として考えたとき、上の方法が必ずしも誤りであったとは私は思わない。母を殴るなど当初は考えられなかった私が本気になればどこまでやれるのか、母に思い知らせる必要があったからだ。「もうこんな目には遭いたくない」という母の後悔と反省を引き出すことができれば多少の怪我は構わないと思っていた。母に対するせっかんを横目で黙って見ていた祖母は言った。
 「哲夫が本気になれば止められねんだはんでの。腕の二三本だっきゃ折れてまうんだはんで」
母は何も答えない。ただ自分の身を守るので精一杯だ。戦慄に震えるその表情を直視すれば良心が痛む。だが止めるわけにはいかない。祖母の言葉に刺激を受けて暴力はさらにエスカレートしていった。(横ではおばあちゃんも見てるんだ。中途半端な攻撃はできない。おばあちゃんの納得するような結果を出さなきゃいけない。)私自身の気が済むまでそれは止むことがなかった。ほとんど人を殴った経験がない者が一度暴力に及ぶと恐ろしい。歯止めが利かないのだ。程度というものを知らないから徹底的にぶちのめそうとする。さらに、相手がどのような反撃に出るのか分からない怖さ、痛めつけられる相手を見て戦意を喪失することの中途半端さに対する自分のふがいなさ、諸々の感情を振り払うように行為に没頭していく。一度殴り始めたら核分裂反応の臨界状態の如く攻撃が続いていく。もう目の前の相手を殴ることしか考えられない。
その後母が私にどのような印象を抱いたか、以下の母の言葉で明らかにしていこう。
 ある夜のことだった。いつものように自室の布団の中にいた母はドア越しの私の寝床に向かって突然話しかけた。
 「最近は子供が親を殺すことがあるんだはんでの。怖いっきゃの」
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