幼な妻だって一生懸命なんです!



「ふー、なんか緊張した」

廊下に出たものの、化粧室の場所がわからない。
戻って多田さんに聞くのも躊躇われ、来たときに降りたエレベーターの方へと自然に足が向く。

誰もいないと思っていたフロアに人の声がした。
声が聞こえたのは、階段の踊り場方向。
数分前、樹さんは電話をすると出て行ってから戻っていない。
彼がそこでまだ電話をしているのだろうとそのまま進んで行くと、声の主は一人ではない事に気がつく。

「今さら、戻って来ても遅い」

苛立って聞こえるのは要さんの声だ。
思わず、足を止め、彼らの死角になる壁に身を隠す。

「なんで親父の言いなりになんてなったんだ」

樹さんの語気も強い。
二人は言い合いになってるのだろうか?

「美波ちゃんとの結婚はお前の本意か?」

自分の名前が出されて心拍数が上がる。

私との結婚?
お前の本意?

樹さんの言葉が突き刺ささった。
その言葉は何を示しているのだろうか?

聞いてはいけない。
今、私がこの場にいることを彼らに知らせて会話を止めなければと思う反面、話の続きに興味をそそられる気持ちの方が(まさ)った。

要さんが私と結婚した本当の理由がわかる。
彼に愛情を注がれ流されて来た。
その愛情に何か裏があるとしたら?
これまでの彼の行動が府に落ちる。
でもどうして私?
私との結婚になんのメリットがあるの?

至って平凡な特徴のない容姿に惹かれたなんて自惚(うぬぼ)れるほど子供じゃない。
高島家がわざわざ欲しがるような家柄でもない。
なら、どうして?

私の疑問は彼らの会話で明確になった。


「あの子と結婚したどちらかを後継者にするなんて、親父の戯言(たわごと)を本気にする
やつがあるか」

耳を疑う。
私と結婚することが後継者になるってなんの話だろうか。
樹さんがいう親父の戯言とは?社長の?
二人の話の内容が理解できないままの耳には、続きの話が流れ込む。

「最初から戦わないやつに言われたくないね」

「それはお前が欲しがっていたからだろ」

「ああ、誰にも渡したくなかった」


後継者の座を誰にも渡したたくなかったと言ったのは、他の誰でもなく私の夫になった要さんだった。

ああ、そうだったのか。

この言葉でこれまでの二ヶ月間のすべて合点がいく。
突然、プロポーズされたことも、結婚すると決めてからのスピードの速さも、子どもを作ろうとしなかったことも。

私の結婚はそんなことに利用されていたとは知らずに「どうしてもあんたと結婚したいんだ」と要さんに言われたあの日から、私は彼にに心を奪われた。
こんな時に追い討ちをかけるように由香さんの言葉が思い出される。

『やけになっていたから誰でも良かったのね』

今なら由香さんにハッキリと言い返せる。
私だから結婚したんですよ、と。
だって私と結婚すれば、高山グループの後継者になれるんだから。

自虐的に言葉を並べて、自分を戒める。
こうでもしないと今私は立っていられないのだ。
二人の会話がまだ終わらぬうちに、社長室へと戻った。

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