夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~

 ぴたりと手が止まる。
 こういうときに限って、起きてほしくない出来事が起きるというのは世の常なのだろうか。
 振り返るのが怖い。春臣さんがどんな顔でこちらを見ているのか、確認したくない。
 だから私は振り返らず、そのままなにごともなかったかのように手を引いた。

「ここで眠るなら楽な格好の方がいいかと思ったんです……」

 残念ながら、完璧になにごともなかったふうを装うのは私には無理だった。どんどん声が小さくなり、顔がお風呂に入っていたときより熱くなるのを感じる。

「別に変な……あの、本当に変なことをしようとしたわけじゃ……」
「そうは思っていないから落ち着け」

 春臣さんの顔を見られないでいる私を、最近になって慣れた香りが包み込む。
 抱き締められながら、私は春臣さんの腕の中で縮こまった。

「すみません……」
「わかったから」
「そういうつもりは本当になくて」
「ああ」
「引かないでください……」

 穴があったら入りたい、という言葉の意味を、まさかこんな形で知ることになるとは思っていなかった。
 自分の部屋まで逃げ出したいけれど、私を抱く春臣さんの腕が許してくれない。
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