夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
***

 外は夜ということもあって少し寒い。
 オフィスの前にずらりと待ち並んでいたタクシーの先頭車両が、近付く私たちの姿を見てドアを開く。

「春臣さんっ」

 三度目に名前を呼ぶのと同時に、車の中へ放り込まれた。
 春臣さんも一緒になって乗り込んでくる。
 そして淡々と行き先を告げた。

「待ってください、帰るなんて」
「あれ以上、お前をあの場に置いておけないだろう」

 ようやく返事をしてくれた春臣さんが、険しい顔で――そしてとても辛そうに私の頬を手で包み込む。

「自分がどんな顔をしていたかもわからなかったのか?」
「え……」

 どういう意味かと問う前に抱き締められる。
 息が止まるくらい優しいぬくもりが私をその腕の中に閉じ込めた。

「悪かった」
「どう、して……謝るんですか……?」
「ひとりにしなければよかった。お前が男嫌いなのはわかっていたのに」

 せっかくの髪がぐしゃぐしゃになるのも構わず、春臣さんは私の頭を自分の胸に押し付ける。まるで守ろうとしているかのようだと他人事のように思った。

「怖かったな」
「――っ」

 たった今の今まで、その感情を忘れていた。
 怖い、と感じる前に思考が停止してしまったからだ。
 春臣さんの一言で、自分があのときどんな思いを抱いていたか気付く。

「私……私……」
「もう、いいから。……帰ろう」

 目の前がぼやけて、目頭が熱くなった。
 頷くのが精いっぱいだった私を、春臣さんは家に到着するまでずっと撫でてくれていた。
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