天満つる明けの明星を君に②
突然天満がくんと鼻を鳴らして言った。


「なんか…いい匂いがするね?」


芙蓉から貰った石鹸と香をつけて実は万全の状態ですとはとても言えない雛乃は、身体を揺らして動揺しつつも、剥いてくれた蜜柑を口にした。


「そ…そう言えば…芙蓉さんから頂いた石鹸がとても良い香りだったので譲ってもらいました」


「ああそれでか。ちょっと大人っぽい感じの匂いだね。僕は素の匂いの方が好きだけど」




……素の匂い?


――どういう意味かと雛乃が首を傾げると、天満は少し伸びた前髪をかき分けて雛乃の顔を覗き込んで笑った。


「雛ちゃんは何もつけなくても甘くて良い匂いがするから、そのままの方がいいよ」


とかく天満の笑顔に弱い雛乃は、心臓が締め付けられて痛くなって胸を押さえた。

ばくばく動悸がして汗が滲み、合った目は離せなくなって、口もうまく動かなかった。


一方天満は――そんな雛乃の態度に、きっと今夜が勝負なのだと周りがけしかけたのかと疑いを持っていた。

そんなのは自分が決めるし、雛乃の態度で決めたいと思っていたが、なにぶん自分自身もこういった雰囲気は久しぶりで、女は雛菊しか知らない。

いくら耳年増と言えどもそれは経験とは別で、実は天満自身も緊張していた。

こんなに準備万端で待ってくれているのだから、期待に応えたいと思ったが――この屋敷には、まだ吉祥が居る。

翌日には吉祥を引き取りに鬼脚の当主がやって来ると朔から聞いていたため、また何か仕出かすかもしれないことを警戒した天満は、自身の想いを律していた。


「…ああ、なんかちょっと身体が痛いな…」


「!天様、すぐ横になって下さい!私、私、お水を頂いて来ます!」


「ごめんね、ありがとう」


うまく言い訳をして床に横になると、金縛りに遭ったかのように固まっていた雛乃が部屋を飛び出して行った。


「ああ、危なかった…」


何度も危なかったと呟き、身体を丸めた。
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