太陽に抱かれて
モネといえば、日本でもその作品を目白押しとした展覧会は数年に一度、いや、近年では年に一度といっていいほど開かれる人気の印象派画家だ。
光と風の覇者と称されるとおり、雲がそよぐ空や、揺れる水面を描くのが上手く、初めて美術に触れる者でもその魅力は理解しやすい。
中でも、画家の大作「睡蓮」は、自身の身長をゆうに越えるカンヴァスに――連作ということで、数多カンヴァスのサイズの違いはあるのだが――自宅の庭で水面に美しく咲く花を描き、その色彩と光の表現力は人々を魅了する。
モネの庭と家は、写真で見るよりもたしかに美しかった。
緑と色とりどりの花で満ち溢れ、そこかしこにモネの息吹を感じる様は、さすがフランス有数の観光地といったところだろう。多くの人が足を運ぶのが頷ける。
特に、日本庭園をモチーフに作られた庭は、睡蓮こそ咲いてはいなかったものの、どこを切り取っても絵になるといっても過言ではない。池にかかる太鼓橋などは、ももたち日本人にとっては馴染み深いもののためか、何万キロも離れないフランスという国でそれを目の当たりにしたのはどこか感慨深いものがあった。
帰りに、ギャラリーにも寄った。
二十世紀初頭、モネを敬愛するアメリカ人印象派画家たちが数多く滞在したともあって、小さいギャラリーが、ジヴェルニーの村には点在している。
その中でもクロード・モネ通りに面した、比較的入りやすそうなところを選んだ。
「すべて、あなたが?」
人が十人も入ったらきつくなるであろう小ささのそこには、風景画ではなく油彩を殴りつけたような絵画が飾られていた。
ぐるりとギャラリーを見回して、エントランスに佇む男性に声をかけると、彼は嬉しそうに笑みを浮かべながら頷いた。
「はい。奥の二枚を除いて、すべて自宅のアトリエで描きました。あの二枚は、画塾で」
壁に掛けられた十数枚の大小異なるカンヴァス。
いずれも描かれた対象物のはっきりとした形を認識することはできなかったが、奇抜な色彩はどことなくアンディ・ウォーホルのマリリン・モンローを彷彿させる。
「モネの庭を見てきたばかりだから、なんだか新鮮」
「よく言われます。でも、ありがたいことに、その言葉こそ僕には褒め言葉なんですよ」
印象派の生きた村で生まれ、彼らの愛した風景とともに育った。
彼もまたモネを愛しているというが、画家を志すきっかけやその内から湧き出るものは、印象派というこの村のベクトルには重ならなかった。
「自分の中にある感情や見えているのに見えないなにかをこうして描くのが、楽しくて堪らないんです」
若いアーティストは言った。
ただ絵の具を重ねただけのような絵にも、それぞれの思いが込められていて、意味をなさないようなものが芸術の前では数多の意味を持つ。
ももの目の前にあるグレーに染まったカンヴァスにも、きちんとタイトルがついていた。
「ラ・リュミエール……」
「どうして、そんなタイトルをって顔してますね」
すみません、反射的にももが謝ると、彼はなんてことのないように、いいえ、と一笑した。
「それでいいんです。それで」
ももはグレーの絵を眺めた。
彼はこれをどんな風に描いたのだろう。どんな場所で描いたのだろう。どうして「光」というタイトルをつけたのだろう。
彼にとって、絵を描くとは、どんなものなのだろう。
濃い灰色の中に、一体、なにがあるというのだろう。
ももは、しばらくその絵と対峙していた。