さよなら、片想い
そういえばその岸さん、私というか私の描いたものを知っているふうだった。
入社してどれくらい過ぎたころだろうか、先輩たちとそれぞれ一反ずつ、同じ柄で見本反を描くことがあった。
見本反というのはこれ以降に手掛ける商品のお手本とする反物のことだ。
人の手で作るものだから、ぼかしの幅や濃さがまちまちにならないよう、見本反から絵柄の多い左前見頃をカラーコピーに残すこともある。
図面を見ながら絵筆で反物に向かい、袖部分だけ塗ったところでデザイン担当の岸さんが呼ばれた。
先輩ふたりと私がそれぞれ取りかかった三反をじっくり見たうえで、この表現でいってほしいと選ばれたのが私の描いたものだった……らしい。
私はそのとき席を外していて、やりとりは見ていなかったのだけれど、だいぶたってから食堂ですれ違ったときに『ああ、君が名取さんか』と言われたし、それだけしか言われなかった。
どういう意味かと、当時今より若くて今ほど心が図太くなかった私は悶々と考えに考えた。
悪目立ちしていた? いや、していないでしょ!
そして、ほかに接点がないのだからあの見本反のときのことを言っているのだろう、という結論に落ち着いたのだった。