センチメンタル・ファンファーレ
ベーグルをゆっくり食べ、甘過ぎて残すはずだったカフェラテさえも空にしたのに、川奈さんはむっつり黙ったままだった。
それは対局中の方がまだ騒がしいほどの沈黙だった。
「あの……私、そろそろ帰るけど、川奈さんはまだいる?」
とうとう耐えきれなくなり、バッグを肩にかけながら尋ねると、やはり黙ったまま私の少し前を歩き始める。
人通りの多いところから逸れると、いよいよふたり分の足音しかしなくなった。
宵闇が重い。
押し潰されたみたいに、視線は地面に落ちていた。
同じマンションに帰るのだから、途中で道が分かれることもなく、あと十分この空気が続くのかと思うと息苦しい。
私は何も悪くないのに、なぜこんな思いをしなければならないのか。
腹を立てたら空気が少し軽くなった。
不機嫌は不機嫌で相殺するのが効果的らしい。
「白取くんは格好いいよね」
振り返りもせずに、川奈さんが言った。
「そうだね」
「ああ見えて将棋は真面目だし、友達としては頼りになる」
「そうなんだ」
「でも、弥哉ちゃんは苦労すると思う」
家々の間を抜けてくる風が、冷たく髪を乱した。
「詳しいことは言いたくないから言わないけど、苦労するよ? 今は一瞬楽しいかもしれないけど、冷静になって、ちゃんと考えた方がいいと思う」
川奈さんの言いたいことはわかる。
言葉の裏にある気持ちも、わかってる。
だけど、はっきり言ってくれないから、私もちゃんと言い訳できない。
「弥哉ちゃんは大事な友達の大事な妹だから、傷ついて欲しくない」
「好き」って言ってくれたら、「私も好き」って言うのに。
「俺のことどう思ってる?」って聞いてくれたら、勇気を出して「好きだよ」って答えるのに。
川奈さんは望むきっかけを与えてくれない。
弱い人。
情けない人。
「白取くんはやめておいた方がいいよ」
川奈さんはそこで言葉を止めてしまった。
「俺にしたら?」とは続けなかった。
子どもの頃は、空気や流れなんか気にせず、自分が話したいことを話せたのに、いつの間にか流れの中でしか会話できなくなった。
流れが違えば、言いたいことも飲み込むようになった。