探偵さんの、宝物
 私ははたと気が付いて、散った意識を集中させる。仕事中にそんなことばかり考えていてはダメだ。
 対象者に注視する。彼は相変わらず足早に歩いていた。
 しかし、コンビニやファーストフード店がある通りまで来ると前触れもなくこちらに振り向く。

「あっ」
 予想外の行動に対する驚きと、写真で見たより数段強面だったので恐怖を感じ、声が出てしまった。
 ――完全に目が合った。どうしよう、尾行がばれるかも知れない。
 私は鋭い眼光に縮み上がっていた。

「どうしたの? 忘れ物でもした?」
 楓堂さんは私の顔を覗き込んだ。ちょうど対象者と私の間に割り込む形になった。
「うん、そうみたい。でも明日でも大丈夫かな」
 即興で嘘の会話をしている間に、対象者は来た道を引き返してコンビニに入って行った。
 怪しまれることはなかったみたいで心底ほっとした。私たちも続いて入る。

 対象者は飲み物を選んでいるらしい。私たちも買うものを選んでいる振りをしながら待機する。

「さっきはごめんね」
 私は謝った。役に立つどころか、足を引っ張ってばかりだったから。
「大丈夫、気にしないで」
 まだ握ったままの手を、ぶらぶらと揺らされた。
「ううん、このままじゃ、終われないから」
 私はぎゅっと力を込めて握り返す。
 彼はふ、と笑って言う。
「結構熱いよね、結月って」

 ついに下の名前で呼ばれて、胸がざわついた。
 ただそれだけのことなのに、嬉しさが込み上げてくる。
 ――ああこれはもう、重症だ。

「そうかな。それなら、お互い様だと思う」
「え?」
 私は答えずに、右の彼の深い茶色の目を見た。



 最初の調査の時、車の中で楓堂さんと話した。
「楓堂さんはこの仕事に優しさが役立つと仰いましたが、浮気調査に優しさが関係する部分があるんですかね。
 私たちが証拠を掴んだら、夫婦は別れてしまいますよね」
 こそこそと後をつけて、撮影して、まるで悪いことをしているような気分になってそう言った。
「僕らが探すのは、真実です」と、彼は言った。
「辛い真実は、依頼人を傷つけます。
 しかし、それが新しい人生を始めるきっかけになるかも知れません。
 それに、時には無実を証明することにもなるんですよ」

 薄暗い車内で聞こえる声は低く、落ち着いて静かだけれど、私は彼の中の信念を感じた。
< 37 / 65 >

この作品をシェア

pagetop