探偵さんの、宝物
 ***

 僕らは飲み物を買ってコンビニを出た対象者を再び追う。彼は最初からはっきりとした目的があるらしく、迷わずに進んでいる。

 やがて二階建ての年季の入ったビルの階段を上がっていった。僕らは途中で立ち止まり、入って行く姿を撮影する。
 その建物には看板が付いていた。一階は手芸用品店らしい。
 二階の看板には、こう書いてあった。

『男性限定編み物教室。毎週水曜開講!』

 僕は彼が入ったのを確認してすぐ、電話を始める。

「旦那様は男性限定編み物教室に入っていかれました。
 毎週水曜十九時から二十一時に開講と書いてあります。
 ……本日の調査は続けた方がよろしいですか?」



 仕事を終え、事務所への帰り道。僕らは例の猫のいた公園の前を歩いていた。とうに日は落ちて星が見えている。

「結局、何の役にも立てませんでした」
 尾花さんはタイルの道路を見て呟いた。調査は終わっているので、当然手は繋いでいない。
 僕は正直に言うと今日一日、調査の成功と彼女の手の柔らかさと小ささのことしか考えていなかった。だから尾花さんがそんなにも失敗を気に病んでいるとは気付けないでいた。
「そんなことはないですし、まだ始めたばかりじゃないですか」
 彼女はこくりと頷くが、まだ浮かない顔だ。
 僕は少し考えてから、発言する。

「一つ、頼んでもいいですか」
 良かった。顔を上げてくれた。
 ……しかしその続きを言うのには、勇気が必要だった。

「一回でいいので、名前で呼んでくれませんか?
 僕だけ呼んでもらってないので」

 いつ来るかいつ来るかと期待していたのに、結局チャンスは訪れなかった。
 これを拒否されたらきっと凹むだろう。彼女は驚いているらしいので、僕は焦って誤魔化そうとする。

「や、練習ということで」
「練習、ですか。……分かりました」

 暖色に光る街路灯の下で僕らは立ち止まり、向き合う。
 彼女は恥じらっているのか、マフラーを口まで引き上げた。
 僕はその三文字を聞き逃すまいと神経を耳に集中した。

 白い頬が持ち上がり、目の形が三日月に近付いてゆく。
(すばる)君、がんばったね、偉いよ」

 ――軽率に言った僕が悪かった。

 破壊力が大きすぎて、声が出ない。貫かれた胸を手で押さえた。
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