探偵さんの、宝物
 その人は、陽射しを背に受けて入ってきた。

 身長は高く、黒髪で、無造作だが爽やかな髪型。端正な中に幼さを感じる顔立ち。チャコールグレーのスーツに臙脂(えんじ)色のネクタイ。
 ……そして、片腕に抱えられた桔梗の寄せ植え。

 彼は私に気付くと会釈をした。

「こんにちは。ああ、会えて良かった」

 彼が歩み寄って来たので、私も掃除用具を置いて立ち上がる。
 店長はちらりとこちらを見たが、気を遣ったのか何も言わずに作業を再開した。

「昨日は本当にありがとうございました。これ、お預かりしたままだったので」
「あ、すみません。わざわざどうも……」

 鉢を手渡される。その最中、私の頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 何故この店に私が勤めていると分かったの? 昨日は制服から着替えて帰っていたし、鉢にも店の名前は書いてないし。この人がすごい花屋通とか? でも一度も店で見掛けたことはないし。そもそも花を買うのはお客さんの方が多いわけで、私が店員だってどうして分かったの?
 酷く焦って混乱していた。

 ――ああ、もう。二度と会うことは無いと思って力を使ったのに!
 どうしよう、素性が割れてしまった。もし言いふらされたりしたらどうなるの? また、あの時みたいに……。

 嫌な記憶に胸が苦しくなる。鉢を持つ手に力がこもる。

 ――落ち着け、私。そもそも、あの時とは状況が違う。この人は大人だし、吹聴する可能性は低い。第一言いふらされても店長もバイト仲間も信じない。

「……あの、どうして私がここにいると分かったんですか?」
 自分を落ち着かせてから言う。三割曇っていた笑顔も満点に戻した。

「それはですね……」
 その言葉を待っていた、と言う風に、彼は口の端を上げた。
 懐に手を入れ、革の名刺入れを取り出す。店長をちらりと見た後、私にだけ聞こえるように、声を潜めて言った。


「僕が探偵だから、ですかね」


 同時に、茶色地に紅葉(もみじ)の描かれた名刺を差し出す。

『楓堂探偵事務所 所長 楓堂(ふうどう) (すばる)

 ――ふうどう、すばる。
 どこかで聞いたことがあるような気がする。でも、思い出せない。
 ぱっと彼の顔を見上げると、目が合った。

 自分から気障な台詞を言ったくせに、こちらの反応を(うかが)うように瞳が揺れている。薄い唇はきつく結ばれていて、耳が少し赤い。

 それを見た瞬間、ぷっと吹き出してしまった。「ああ、この人なら先程のような心配はいらないな」と悟った。
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