きみこえ
ホワイトデー if Baumkuchen



 三月上旬、まだ寒さの残る休日に、翠は家の使用人を連れて高級百貨店に来ていた。
 翠は名家の生まれだったが、学校では普通に過ごしたいという事もあり、家柄の事は夏輝以外には内緒にしてあり、使用人と出掛けることも滅多になかった。
 今日は主にバレンタインデーで大量に貰ったチョコのお返しを運ぶ為に連れてきていた。

「うーん、ここは無難にお煎餅セットにしておきましょうか・・・・・・」

 翠の選んだ物はこじんまりとした和紙に包まれた箱で、中にはお茶に合いそうなザラメ、きな粉、抹茶がまぶしてあるお煎餅セットだった。
 ここのお煎餅屋さんは茶菓子に合うので翠がよく利用している店だった。

「梅田さん、これを六十個手配して貰えますか?」

「かしこまりました」

 梅田は重低音の渋い声でそう言うと店員に商品の注文と支払いをテキパキと始めた。

「あ・・・・・・、梅田さん、すみませんが個数を一つ減らしてもらってもいいですか?」

「はい、どうかされたのですか?」

 梅田は支払いをしようとした手を止め、翠を見ると、なにやら食い入るように隣の店のショーケースを見ているのが目に入った。

「ええ、ちょっと、気になるのを見つけまして」

「珍しいですね、いつもは全員に同じ物を渡されるのに」

「そう・・・・・・ですね」

 翠はそれを見詰めながらほんのりと顔を赤らめた。

「これを渡したら、きっと喜んでくれるんじゃないかなって想像したらつい・・・・・・、やはり同じ物にするべきでしょうか?」

 梅田は使用人としては意見すべきではない、全ては(あるじ)が決めるべき事、そう考えていた。
 だが、恥ずかしそうな顔で悩んでいる翠を見て使用人としてではなく、個人として助言したくなった。

「良いのではないでしょうか。贈り物とは『心』、心さえ入っていればどんな物を贈ろうと、きっと喜んで頂けるはずです。その特別なひと品を贈りたいという気持ちもまた『心』、ですから翠様の心のままにされるのが宜しいかと」

「ふふっ、『心』ですか」

 翠はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。

「出過ぎた事を申しました」

「そんな事はありませんよ。贈り物とは書の道に通ずるものがありますね。じゃあこちらも一つ頂くとしましょう」

「かしこまりました。本日は炊事場の者に赤飯を用意させましょう。翠様に特別な人が出来た記念に!!」

「ちょっ、ちょっと梅田さん?! ち、違いますから!」

 ガッツポーズをしながら意気込む梅田を翠はこの後全力で止める羽目になった。



 ホワイトデー当日、翠は放課後、ほのかを部室に呼び出していた。
 部活動は休みの日の為、翠は制服姿で準備をしていた。
 暫くすると、ほのかは教室の扉を開きやってきた。

「あ、月島さん」

 だが、ほのかは何を思ったのかすぐに扉を閉めた。

「あれ? 月島さん?」

 数秒してほのかは再び扉を開いて戻ってきた。

「あの? どうかされたのですか?」

【タタミが無かったから教室間違えたかと思って】

 そう言われて翠は教室を見渡した。
 いつもは畳を敷き、机や椅子も後ろに寄せていたが、今日は至って普通の教室と同じ光景だった。

「ああ、なるほど、今日は部活をする訳ではないですからね。月島さん、どうぞこちらへ」

 翠はほのかに机に座るように促した。
 ほのかは翠に言われるまま席に着いた。

「月島さん、今日はホワイトデーなのでチョコのお礼にこちらを召し上がって頂こうと思い、ご用意しました」

 翠はそっと、ほのかの前に、銀色のフォークと黒い色をした輪っか状のケーキが乗った皿を差し出した。

【バームクーヘン!】

 ほのかは見覚えのある形の菓子を前に目を輝かせた。

「ふふふっ、バームクーヘン、お好きですか?」

 ほのかはコクコクと首を縦に振った。
 用意されたフォークでほのかはゆっくりとバームクーヘンに切れ目を入れた。
 その輪っかは森の切り株の様に美しく、切るのが勿体ないと思えるくらいだった。
 一口、口に入れた瞬間、周囲をコーティングしていた砂糖がサクリと溶け、口いっぱいに風味豊かな香りが広がった。
 ほのかはこの懐かしい様なコクのある味を良く知っていた。

【黒糖!! マーベラス!】

「ま、マーベラスですか? 喜んで頂けて何よりです。さ、お茶もどうぞ」

 翠はほのかに緑茶の入った湯呑みを渡し、ほのかに向かい合う形で正面の椅子に座った。
 入れてもらったお茶は温かそうな湯気をたて、ほのかは息を吹きかけながらゆっくりとお茶を啜った。
 バームクーヘンで黒糖味が珍しいのも驚きだったが、お茶の渋みが黒糖の芳醇な甘さを引き出し相性は抜群で、ほのかはとても感動していた。

「本当は抹茶がたてられたら良かったのですが、流石に道具一式を持っては来れなくて」

【茶道ですか?】

「ええ、道が付くものなら一通り心得はありますよ」

 さらりと翠は言ってのけたが、道が付くものという事は、書道の他に茶道、華道、弓道、柔道、剣道等があり、ほのかは目の前の人物は実は凄い人なのかもしれないと思った。


 翠はほのかがとても美味しそうに食べている様子を観察していた。
 一口一口を美味しそうに食べているのを見ると自分まで嬉しくなった。
 それと同時にふと夏輝の事が頭をよぎった。
 夏輝がほのかの事を少なからず好いている事は分かっていた。
 それを友として応援したい気持ちもあった。
 こうしてほのかを独り占めする時間、幸福感を味わうと同時に多少なりの罪悪感もあった。
 翠が複雑そうな顔でそんな考え事をしていると、ほのかがじっとこちらを見ている事に気が付いた。

「あ、すみません、ちょっと考え事をしていました」

【先輩も良かったら一口】

 ほのかはそうスケッチブックに書き、バームクーヘンとフォークが乗った皿を差し出そうとした。
 翠は考え事をしている顔がケーキを食べたそうにしている顔に見えたのか、それとも気をつかってなのか、どちらにせよ、ほのかの優しい笑顔と仕草の一つ一つに自然と笑みが溢れ、さっきまで悩んでいた事が吹っ飛んでしまった。

「おや、一口くださるのですか」

 ふと、翠は意地悪をしてみたくなった。

「じゃあ、くださる分だけ頂けますか?」

 そう言って瞳を閉じ口を開けた。
 その様子を見て、ほのかは恥ずかしさから顔が熱くなった。
  所謂(いわゆる)、『あーん』を要求しているとすぐに理解したからだった。
 ほのかは震える手でケーキを一口大に切り分け、フォークで刺し、それをゆっくりと翠の口元に運んでいく。
 あと少しで、先輩から与えられた試練が終わると思った時、急に翠は瞳を開きほのかの手を掴み、そのままケーキを口に入れた。
 翠は予想通り、ほのかが茹でダコの様になって狼狽しているのを見て満足気に微笑んだ。

「ご馳走様です。ふふっ、なんだか恋人同士みたいですね」

 そう言って、更に顔を赤くさせるほのかを見て、この幸せな一時(ひととき)がずっと続きますようにと翠は祈った。
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