かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
「それでは、お時間いただきありがとうございました。プランニングの草案を次回お持ちしますので、またそのときはよろしくお願いいたします」

一時間ほど事務所で恭子さんと話した後、店を後にする前に「ちょっと待って」と恭子さんに呼び止められた。

「彼、猪瀬君よ。生菓子担当でずっと先代の下でアシスタントしてた子。こちら先代の娘さんの花澤芽衣さんよ、ほら、ちゃんと挨拶して」

恭子さんの隣でモジモジしている私より少し年下の男性がペコリと頭を下げる。

猪瀬玲央(いのせれお)です。よろしくお願いいたします。先代の元で色々お世話になってました」

控え目で物静かな雰囲気の猪瀬君は、都内にある専門学校の製菓衛生師科で学びながらパティシエを目指す学生アルバイトさんだという。アシスタントということで彼の被っている帽子は恭子さんと違い背が低かった。父ともっとも関係が深かったスタッフとして、恭子さんが紹介してくれたのだ。

「生前は父がお世話になりました。今後のお店のことをコンサルタントとして担当することになった花澤芽衣です」

にこりと笑うと、猪瀬君はブンブンと首を振って「あ、あの……」と、どもる。

「俺はまだ見習いだし、年だって下だし……ぜんぜん敬語なんかじゃなくて……いいですから」

「あはは、やぁだ、猪瀬君ったら先代の娘さんがこんなに可愛くて綺麗な人だと思ってなかったんでしょ? 赤くなっちゃって、かわいー!」

恭子さんに茶化されると猪瀬君の顔がみるみるうちに赤くなる。私も「可愛くて綺麗」なんて言われたこともなかったからこそばゆくて少し照れてしまう。

「猪瀬君、すごく手先が器用なのよ、店に飾ってある銀細工の飾り、あれ全部彼のお手製なの」

「え、そうだったんですか?」

手作りなのかなって思ってたけど、猪瀬君が作った物だったんだ。

パティシエになるなら、手先が器用じゃなきゃだもんね、納得。

見ると、商品棚に飾られた星形のオブジェがキラッと光ったような気がした。
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