ラヴシークレットルーム Ⅰ お医者さんとの不器用な恋


『”お兄ちゃん”・・・だぞ。俺は』

体だけでなく、頭も冷えた俺は、ようやく蛇口をグイッと捻って水を止め、浴室を出た。

伶菜と暮らし始めて、朝シャワーを浴びた後に真っ直ぐにリビングに向かうという行動。
それがすっかり擦りこまれた俺の足はいつもと同じ行動をする。


それでも、リビングの前のドアの前で、伶菜とどう顔を合わせればいいのだろう?という想いが再び頭を過ぎる。


『いつも通りでいいんだよな?』


そう自分に言い聞かせ開いたドアの先から聞こえてきた伶菜の  ”おはよう、お兄ちゃん”  という元気のいい朝の挨拶。


伶菜の口から紡がれた ”お兄ちゃん”
昨晩とは異なり、至って自然な ”お兄ちゃん”

『おはよ。』


自分が彼女の兄貴であることを納得させられる、その ”お兄ちゃん” という呼び方に、俺も彼女の兄貴でいようととうとう腹を決めた。
と言っても、まだ気持ちがグラつくかもしれないという想いもあり、まともに彼女と目を合わせることができない。


彼女のくりくりとした大きな瞳は
俺の "彼女の兄貴でいよう” という決意を惑わせる魔力を秘めているような気がしたから。

だから俺は、彼女から差し出された皿に箸を伸ばしたり、祐希に話しかけたりしながら、できるだけ彼女と目を合わせないようにする。
でも、このまま出勤したら、なんかわだかまりが残るとも思った瞬間、祐希がいつもとは異なる動きをし始めた。

それは今まで伝い歩きしかしていなかった彼のひとり歩き。
そして、その嬉しいハプニングが俺と伶菜がまともに顔を合わせるきっかけになる。



「あの時、手術着を着た男の人が夜通し名古屋から東京まで高速を走ってきて、これを届けてくれたらしいんだけど、私、まだその人にお礼を言ってなくて・・・・」

以前、東京で入院していた彼女に届けた赤ちゃん用の小さな靴は俺が用意したものであるということがバレるきっかけにもなって。


「コレ、ありがとう・・・・お兄ちゃん♪」


なりふり構わず、必死だったあの頃の自分を想い出し、照れくささを感じる。

どう返答したらわからない俺は黙ったまま、はっきりと見覚えのあるその小さな靴を彼女から受け取り、祐希に履かせた。
そして、祐希と一緒に玄関のドアを開け、歩き始めた。


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