ラヴシークレットルーム Ⅰ お医者さんとの不器用な恋
『すみません。日詠の家族の者ですが、いつもありがとうございます。コレ、渡して頂けますか?」
私は着替えの入った紙袋をその人に差し出す。
「あっ、いつもご苦労様です。今、日詠医師は医局内におりますが、お呼びいたしましょうか?」
関係者以外立ち入り禁止の医局でいつものように笑顔で迎えてくれるその人。
ありがたいことに、すっかり顔馴染みの人物になっている私。
『いえ、私、このまま急いで帰らなきゃいけない用事がありますので・・・失礼します。』
「では、着替えお預かりします。お気をつけて♪」
急いで帰らなきゃいけない用事なんてなかった。
ついさっきまでの康大クンとのやりとりの中で、彼に対して、そして自分に対しても嘘をついたせいで、今、お兄ちゃんの顔を見ると嘘をついたことを勘付かれそうと思った私はせっかくの事務員さんの心遣いをお断りしてしまった。
そして、私は事務員さんに笑顔で会釈をし、祐希とともに病院を後にして、強い北風が吹きつける帰り道の途中でスーパーに寄った。
『今日、お兄ちゃん、確か日勤だったよね?今晩のおかず、お兄ちゃんのスキなものにしよっか?』
「マ~♪」
ピピッ♪
『あっ、メール?』
買い物カゴを腕にぶら提げながら、携帯電話を鞄から取り出す。
着信メールを知らせるランプが点滅していたため、すぐさまメールを確認する。
【from】日詠尚史
【題名】無題
【本文】
着替え、ありがとう。
今晩、急に仕事が入った。何時に帰れるかわからないから、夕飯はいらない。先
に寝ているように。
夜冷えそうだから温かくして寝ろな。おやすみ。
お兄ちゃんからの ”先に寝ていてメール” にちょっぴりほっとしてしまう
自分自身に嘘をついた私が彼に異変を勘づかれない自信がまだない
でも自宅ではお兄ちゃんと顔を合わせるわけだから彼を避け続けるわけにはいかない
だからと彼が好きなおかずを作って、今朝の祐希の初独り歩きの話をしようとも思ってたから、ちょっぴり肩透かしにあった気分
でも、もうすぐ、献立を考える時
“お兄ちゃんが食べたそうなモノ” って考えるんじゃなくて
“康大クンが食べたそうなモノ” って考えなきゃいけなくなるんだ
祐希が初めてできるようになったことを
お兄ちゃんと私でお互いに伝えあうこともなくなるんだ
今朝から事ある毎に、
お兄ちゃんと過ごした日常の振り返るコトと
これからの生活を想像するコトを
繰り返してる
『結婚する直前って、みんな、こんなコト考えているのかなぁ・・』
私はそんなことをずっと考えつつ、自分の異変を勘づかれそうになってもやっぱりお兄ちゃんと向き合って一緒に食卓を楽しみたい
そういう時間を過ごせるのもきっと、あとわずかだから
・・・そう思いながら静かな夜を過ごした。