愛を、乞う
助手席に乗ると藤堂先生の香りに緊張して息苦しさを覚え、運転席に座る先生との近さに自然と窓の外へ視線を移す。
「大変だったな、宮沢」
「……ご迷惑をおかけしました」
「宮沢が謝ることじゃないってさっき言ったろ?」
「はい」
「少し痩せたな?」
「あんまり食欲無くて」
信号で止まると視線を感じ、私もそっと隣を見れば藤堂先生が心配そうに見つめている。
どうしたらいいのか分からずに少し微笑むと、こんな時なのに確かにカッコイイ人だなと思った。
連なるテールランプで赤く照らされた顔、落ち着いた低い声、私には無縁だったものが今はとても心地よく感じる。
今までとは違う雰囲気の藤堂先生は、私が知っている数学担当で無口な担任なんて姿を見せなかった。
クラスのお調子者の鈴木が鉄棒から落ちて前歯を折り、鈴木が笑うと歯が無くて先生は笑いを堪えるのに必死だとか。
あまりに辛くて鈴木を呼び出し歯医者はいつ歯を入れるのか聞くと、ヘラヘラ笑いながら来週の金曜だと答えたらしい。
どうでもいい話をずっとしていなかった。
お母さんと顔も知らない店長の事だけで時間が過ぎていた1週間を埋めるように、藤堂先生は面白おかしく話しをしてくれる。
「こんなに笑ったの久しぶりです」
「良かった。後は、今日はいっぱい食べるといいよ」
「何処に行くんですか?」
「俺の家」
「え?藤堂先生の家!?」
「そ。大丈夫、嫁さんいるから」
何が大丈夫なんだと思ったけれど、どうやらもう着いてしまったらしく車は駐車場に入って行く。
担任の奥さんにご飯を作ってもらい食べる、考えただけでも滅入ってくる。
「そんなに緊張することないよ」
「……はい」
藤堂先生は私の反応に笑い、2人で車を降りてマンションの階段を登った。