君がいれば、楽園
 母の再婚のせいだ、というカウンセラーや教師もいた。

 でも、大きな環境の変化があったから、そうなったのではない。
 義父(ちち)とはすぐに仲良くなったし、いまも仕事のことでは一番に相談する相手だ。

 感情の起伏が激しかった実の父と違って温厚で、わたしのどんな質問にも真面目に答えてくれる義父を尊敬しているし、いまのわたしがあるのも彼のおかげだった。
 IT関連の仕事をしていた義父は、わたしがPCに興味を示すと、簡単なプログラミングを教えてくれた。
 人間も国によってさまざまな言葉を使うように、色んな言語で色んなことができるのが面白くて、あっという間に夢中になった。

 使われている言葉が「言葉どおり」の行動を意味しない世界が、わたしには理解できなかっただけだ。

 結局、友人が一人もできないまま、高校へ進学した。

 高校生になれば、わからなかったことがわかるようになるかもしれない。

 そう期待したけれど、蓋を開けてみれば、ますますわからなくなっただけだった。
 ただひたすら勉強して、三年間をやり過ごした。

 大学では、狭い教室に閉じ込められる苦痛からは解放されたけれど、相変わらず「誰か」と親しく付き合うことはなかった。

 四年間、ここでも勉強に明け暮れて、義父と同じ仕事に就いた。

 社会人になっても人と親密な関係を築きたいとは思わなかったけれど、学生時代と違って、コミュニケーションも仕事の一つだと割り切ることはできるようになった。

 会社では、色んな年齢の人が入り混じって働いている。
 学校生活で常に付きまとっていた『同調圧力』をさほど感じずに済むので、気が楽だった。

 でも、わたしにとって、人の心は不可解なままだった。
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